2015年8月26日 (水)

イラク戦争(第二次湾岸戦争)時代

2003年4月に、ニューヨーク・シティのロックフェラー・センターの通りは、アメリカ合衆国の旗、一色に染められた。それまでの五番街、六番街の間の、その通りは、「世界平和」を謳うがごとく、各国の旗が掲げられていた。アパート、マンション、一軒家の住居のベランダや庭先に、アメリカ合衆国の旗が掲げられていれば、それは、その家族の誰かがイラクに出兵していることを意味していた。その家族に「イラク戦争反対」などというアメリカ一国民としての感想を述べようものなら、「では、うちの息子はイラクへ意味もなく、命を晒しに行ったのか!」と、激怒をくらう、という市民同士のいざこざの構図が予想されることとなった。だから、人々は、口をつぐんだ。「国家が決議したアメリカ軍のイラク出兵は、間違っている」とは言ってはいけない、と。日本からアメリカに着いて、突如、自由という空気が、ニューヨークから消えたのを肌で感じた。「私たちは口をつぐんでいるんだ」と、日本人の私にこっそり教えてくれた人々が何人かいた。「だから、あなたも…」というアドバイスでもある。イラク戦争が2003年3月に始まって一ヶ月後のころだ。  
 1995年3月、東京で地下鉄サリン事件があった。オウム真理教という新興宗教団体が無差別テロを行った。この事件以来、宗教的な要素をもった芸術は、すべて避難の目に晒された。と、言って、それに同意してくれる日本人が、今、いるだろうか?すべての人は忘れてしまった。声明の研鑽を積んで、日本の最も古い歌唱法から、音楽を表現していこうと、作曲、ライブ活動をしていた私は、オウム真理教と、なんら変わらぬ意識をもった人間として、音楽活動の領域(アート・シーン)、さらには、その領域を越えて、ありとあらゆる人々から、忌み嫌われた。当時、ヨガ教室、瞑想教室、占星術、療法的芸術(絵画、舞踊)、インド音楽などに携わっていた人たちなら、この「弾圧の日々」を記憶していらっしゃるかもしれない。  
 1993年4月、Jリーグ(日本プロサッカーリーグ)は立ち上げられ、5月にリーグ戦が開幕した。それまで、プロ・スポーツとして人々に知られてい たのはプロ野球だったであろう。プロ野球のチームのホームグランド以外の地域に、Jリーグのホームグランドを作られ、国民の「熱狂」は徐々にJリーグにシフトしていった。
  1997年11月、ワールド・カップ本戦を決める試合が、イラン代表チームを相手に行われた。延長戦の後、劇的なゴールが決まり、日本代表チームが本戦初出場を決めた。16日、日曜日の深夜、その試合はマレーシアから衛星放送され、フジテレビの平均視聴率は47,9%だった。埼玉県川口市の深夜のアパートの窓は、どこも明かりが消えず、シュートを決めようとするたびに、夜空に歓声が湧いていた。「これで国民の熱狂が、宗教批判からサッカーに完全にシフトした」と、私の心は、深夜のベランダに立ちながら確信した。心底ほっとしたことを今でも忘れない。事実、その直後から、演奏依頼が三年ぶりに来た。私の記憶はさらに明確に留められた。  
 2003年、「イラク戦争への注意事項」のアドバイスを受けつつ、ニューヨーク・シティのライブを見に行った。以前から、ニューヨーク・シティ(別称マンハッタン)は、アーティストが住めるような家賃ではなくなっていた。特にダウンタウンのソーホーは、スタジオ兼住居として芸術家が多く住んでいたが、すでにそのころは、アーティステイックな空気のゆかりを、戦略的に掴み、まことにセレブリティなブランド店が軒を揃える街へと変貌を遂げていた。個人経営的ライブハウスは、かなりなくなっていたにも関わらず、それでもライブハウスを構える「ライブハウス」でフリー・ジャズを聴きに行くと、そこでは、ミュージシャンたちが、イラク戦争以前と、何ら変わりのない「音」を響かせていた。こいつらは「クソか!」と思った。もっとも空気に鋭敏であるはずの経済的、社会的弱者であるアーティストが「アメリカはイラン戦争以前と何も変わっていない」と、表現しているのだ。きっと彼らは、経済的、または社会的に弱者ではないのであろう。
 別の日に、チャイナタウンにある、フィル・ニブロック(Phil Niblock)が長年経営しているExperimental Intermedia Music(EIM)というライブハウスに行った。そこには若手のコンピューター・ミュージックと映像の作家が二人で、作品を発表していた。2001年のアメリカ同時多発テロでワールドトレードセンターが炎上し崩壊する映像、ブッシュ前大統領の映像、アメリカ軍の一兵卒の映像が、繰り返し、映し出される。観客は五人。その中に前の木の長椅子に両肘を置いてニコニコしている老人がいた。彼はラ・モンテ・ヤング(La Monte Young)ではないか?目を疑ったが彼だ。この静かに微笑む老人の存在は、自由の表現の仁王門、弱小アートティストの前に立つ金剛力士だった。
 帰国して、ニューヨーク・シティの小学校に通っていた友人から、当時、その小学校のPTA会長をしていたパティ・スミスから、全卒業生宛てに手紙が送られ、「我が小学校は、今回のブッシュ大統領によって宣戦布告したイラク戦争に反対する」と書かれていた、と言った。あの空気の中で、このメッセージをより多くの人に読んでもらおうと思ったパティ・スミスの揺るぎない正義に心が震えた。彼女は2003年のアルバムでRadio Baghdadを歌う。  
 1620年メイフラワー号に乗って、アメリカ大陸に上陸した清教徒、ピューリタンを先祖に持つ家庭がニューヨーク・シティの北部のマンションに住んでいた。彼らはインテリ階層で、その系図を額に入れてリビングに飾っていた。彼らの運動は、「自分の息子を戦場に行かせない運動」だった。あの空気の中で「イラク戦争反対」という言葉はどうしても使えなかったことを、私はよく理解できた。

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2015年4月 4日 (土)

マンサフ

 3月3日。今日は、パレスチナ最後の日。「何が食べたい?」というので、知っている料理の名前といえば、マンサフ。だから「マンサフ」と言うと、途端に彼は、電話をかけ出した。「おい、サーヒル。今晩、マンサフ作りに来れるか?」そして、他の男たちにも電話をかける。「マンサフは、羊の肉を煮込んだり、仕込みに、3時間はいるんだ」「えっ、そんなに大変だったらいいよ、マンサフでなくても」「いや、そういうことではないんだ。」  どういうこなんだ?  さて、サーヒルがやってきた。男たちは言う。「彼はマンサフが作れるんだ。」  一つの鍋には、ヨーグルトのスープを作りつつ、別の鍋では、サフラン・ライスを作る。さらにもう一つの鍋には、羊が茹だっている。直径1メールほどの大きな皿に、薄いパンをちぎって敷き、ヨーグルト・ソースをかける。さらにその上にサフラン・ライスを敷き詰め、ヨーグルト・スープをかける。オリーブ・オイルで炒めたピーナッツを散らし、その上に骨つきの羊の肉を満遍なく敷き詰める。この大きな皿は、庭に運ばれ、その周りを男たちが囲んだ。サーヒルが祈りを捧げ、大きな皿から直接、スプーンで食べる。各自に配られたヨーグルト・ソースを再び、スプーンでかけながら。しかし、ひとりの男が「いまどきの男たちはスプーンなんて使うが、サーヒルが正しい食べ方を見せてくれる」と言うと、サーヒルは右手でサフラン・ライスを寿司を握るように固め、口に放り込む。私もがんばって、握り寿司方式で食べる。さらに「いまどきは、こんなおしゃれに羊の肉を切って、米の上に乗っけているが、本当は、羊の丸茹でをそのまま、ドンとおいて、それをみんなで引き裂きながら食べるんだ」  マンサフはなかなか男の食い物だったようだ。今では、家庭でお母さんが作ったり、レストランでも一つの皿に盛って出されるし、そう合気道の合宿めしがマンサフだった。  しかし、マンサフの原形は、男たちの団結を固めるものだった。サーヒルの父親はヘブロンの町のリーダーで、彼は父親の作るマンサフを手伝っていたので、本当のマンサフが作れるのだ、と言う。ヘブロンはイスラエル軍に対して激しい抵抗をした町。今日、集まった男たちも「ハリーリ(ヘブロンの男)」だった。  「同じ釜の飯を食う」「固めの杯」これらは、人々の結束を固めるものなのだろう。部族のリーダーの屠った羊の血と肉を共に分かち合う。同じ羊の血と肉が、男たちの身体に入り、彼らの魂に生命を吹き込む。そして男たちの身体を一つにして闘う。2000年前に、ユダヤ人のキリストは、最後の晩餐で、ぶどう酒を血にたとえて「これは私の血だ」と言った。それを回し飲みする。そしてパンを肉にたとえて「これは私の身体だ」と言って、再び回し食いをする。今日、カトリックのミサでは、このようにおしゃれにやっているが、おそらく、キリストの最後の晩餐はマンサフではなかったのだろうか?という説を聞くことも多い。ユダヤ教の七日目の安息日では、「三つ編みパン」と「ぶどう酒」を共に分かち合う。これも「マンサフ」だったかもしれない。三つ編みに結い上げたパンは、のっぺらな棒状のパンよりも肉の断片にも見える。エチオピアでは「ハンニバル」の原形があったそうで、智慧者が老衰し、死を迎えると、人々はその智慧者の肉を食べた。彼の智慧を肉によって授かるために。  血と肉が再び自分の血と肉となる、という実感がある者たちにとって、食べることこそ儀礼となる。

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2015年3月21日 (土)

パレスチナ国語の教科書

 パレスチナの子どもたちが寄ってきた。アラビア語で話そうとするが、子どもたちは私のアラビア語を聞いて「こりゃ、ダメだ」と、小学校一年生の「正則アラビア語」の教科書を持ってきた。パレスチナ、ヨルダン、シリア、エジプト、モロッコとそれぞれの地方によって、現代語で話されるアラビア語は、アンミーヤ(地方言語)と呼ばれる。パレスチナ人ならヨルダン、シリア、レバノンはだいたいわかるそうだ。エジプトもまぁ、大丈夫。でも、アルジェリア、リビア、モロッコになるとわからない。「正則アラビア語」は、現代のどの地域を標準語にした、というものではなく、7世紀から9世紀に成立したイスラームの聖典、クルアーンを基本とした言語だ。これを国語の時間に学ぶ。
第12課「祖国の自由」
ワファーが刑務所から帰って来ました。
お母さんは、大変喜びました。
近所の人たちは、ワファーの出所をお祝いしました。
お母さんは言いました。「アイマンも、もう直ぐ出てきます。そうしたら、私たち(家族)に、完全な喜びがやってくるでしょう。」
第18課「エルサレムへの遠足」
ガサからエルサレムへ生徒たちが遠足に出発しました。
先生は言いました。「これが、アムード門(エルサレム旧市街の「ダマスカス門」のこと)です」
生徒たちは、エルサレム旧市街の市場を見て周ります。
生徒たちは、アクサー・モスク(エルサレム旧市街の「神殿の丘」のこと)でお祈りをします。
「岩のドーム(神殿の丘の中にある。カバア、預言者のモスクに次ぐ、イスラム教、第三の聖地)」をしっかりと目に焼き付けます。
キリスト教会(エルサレム旧市街の「聖墳墓教会」)を訪れました。
先生は言いました。「エルサレムはパレスチナの首都です。」
 
第12課 
 小学校一年生から、ずいぶん重たい国家の問題が、教材となっている。
 理由もなく投獄されるパレスチナ人は巨万といる。彼らは自己紹介のときに「私は6年投獄された」「そうか、私は10年だ」と、日本ならまるでヤクザのような会話で始まるのを聞いたことがある。家に戻ってくるのを、一日千秋の思いでいる家族がどれだけいるだろう。そんな身近な話題だ。
第16課
 ガザから生徒たちが遠足でエルサレムにやってくる。こんなことは、ありえない。彼らは、パレスチナの領域から外には、一生出られない。さらに、ガザの政府はハマース、西岸区の政府はファタハ。この両政府は、パレスチナ人同士で、反目しあっているという、イスラエル側にとってラッキーな政治的情勢がある。この教科書は西岸区域の教科書だから、「パレスチナの首都はエルサレム(アラビア語では「アル・クドゥス」)」と、「ガザの先生」は言うのだ。
 パレスチナは、キリスト教が生まれたところ。ベツレヘムはキリスト教徒が60%、イスラム教徒が40%ぐらいだと、パレスチナの友人は、言っていた。パレスチナ人たちは、何の問題もなく、ともに仲良くやっている。「お互いの教義は、個々の教えに深く結びつくものだ」と、彼女は言っていた。
 
 各課の最後には、暗唱するための詩がある。
 我が国、我が国 それは夢。
 我が国 我が国 それを敬い、
 それを守り、建てる。
 それは、私の心、捧げ物。
 ああ、我が国、パレスチナ。私はいつもともにいる。
 私の美しい家。ああ、我が国、パレスチナ。
 イスラム教の聖典、クルアーンは、素晴らしい韻を踏んだ、そして文法的にも性格で、なおかつ美しい詩でもある。人前で話す人間となるためには、ただ、整然として理論を語るだけではなく、美しい詩となるべく、言葉を選ばなければならない。その言語力も含めて人々は、論者に耳を傾ける。
 政治、宗教、文学が分離していない、というか統合された文化がある。
 彼らは、「韓国人と日本人の区別がつかない」という。「じゃあ、パレスチナ人とヨルダン人はどう違うの?」と聞くと「そんな、変わらない(笑)。でも、パレスチナの方がはるかに表現の自由がある」
 ああ、私の固定観念がぐらぐらする。しかし、彼らに言わせれば、イスラエル政府、ファタハ、そしてアッバスへの批判、悪口、罵詈雑言はいくらでも、ポップスにも詩にもフェイス・ブックにもあるという。「そんなこと言ったら、また逮捕されるんじゃないの?」と聞けば、「それは、みんなわかっている。でも歌い、書き続ける」そうだ。
 空気が違うとでも言おうか。日本では、すでに庶民は、萎縮している。あえていえば、沖縄に近いような気もした。弾圧と闘うという「伝統」と「文化」を持った人々なのだ。それは、ひとりひとりが、ある意味「個」を犠牲にして積み上げてきたのだろう。
 教科書の問題。日本では、どうやら、いろいろと政府が口出ししたいようだ。教科書は文科省が認定するものだから。すっかり「政府」は「王国」のようになっている。
 今まさに憲法改正の問題がある。憲法は国民が政府に宣言するものである。だから、国民ひとりひとりが憲法をかける文章力を、義務教育の期間で養わなければならない。せめて読解できる能力を。マンガを読んで、人生を豊かにする平和な時代が、いきなり終わりを告げ、今、憲法改正案を「読解」し、自分ならどう書くべきか、という文章に近いものはどれかを、検証すべき刻(とき)が、来ているのだ。

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2015年3月 5日 (木)

パレスチナの畜産農業

 日本の貧困女子にとって、パレスチナに来て、一番つらかったのが、「食べる量」だ。朝、黒角砂糖一つ。昼はプラット・ホームでおにぎり一つ。夜はとりあえず夕食らしきもの。これで普段まかなっていると、朝から卵、鳥のレバー、ホムス(ひよこ豆のペースト)、何種類かのチーズにトマトにきゅうりにパン。昼も夜も、がっつり米だ肉だと出てくると、到底食べられない。そこにたたみかけるように果物が三食の間に出てくる。「どうして食べないの?口に合わないの?」と言われても、パレスチナ人に日本の貧困女子の食生活は、全く想像もつかないし、そんなしけた話をしてもしょうがない。とにかく、困り果てた。普段の量からすると常に食べ過ぎで、胃が痛い。
 というわけで、パレスチナの食卓は豊かだ。トマトもきゅうりも生き生きしているし、ピーマンも肉厚。鶏肉、羊、牛(そう、豚肉は、イスラムでは食べてはいけないからない)も、ドカンと米の上に乗っかって、しっかりとした味がする。
P:パレスチナ人 J:日本人
 J:パレスチナの野菜は、パレスチナで採れ たもの?
 P:もちろん。
 J:鶏肉、羊、牛もパレスチナで育ったもの?
  P:もちろん。
 J:日本は、農民が作ってはいけないものがあって、たくさんの野菜や肉がアメリカから輸入されて、日本の野菜や肉よりもずっと安いので、日本の畜産、農業は風前の灯火なんだよ。
 P:そんなことは、あってはならない。パレスチナでは法律で、野菜や肉は輸入してはいけないことになっている。卵もそうだ。もし勝手にパレスチナに持ってきて売ろうしたら法律で罰せられる。これらはパレスチナにとって大切な食べ物だ。それでもチーズ、ハム、果物のいくつかはイスラエルから入ってくる。スナックとかお菓子もイスラエルから入ってくるけど、野菜や肉は、私たちにとって一番大切なものだろ?
 パレスチナはイスラエルに占領されている。しかし、それでも食生活は独立している。つまり自給自足している。日本の方が、よっぽど食生活においてアメリカに占領されている。そして最後のとどめがTPP。日本の農民から作物を作るという基本的権利を奪ってゆくだろう。日本の農民から、もはや誇りは失われていくように、アメリカの規格落ちした、農薬まみれの、ひからびた野菜や肉を食べる「消費する日本人」にも、なんの誇りもない。
  パレスチナの市場にいくと、形のふぞろいなトマトやきゅうりたちが山積みになっている。日本のように大きさ、長さ、形の規格がない。トマトやきゅうりたちは、個性的を発揮して、民主主義的に積まれている。
 パレスチナの代表的な風景は、村のオリーブ畑。キリスト教徒の村、タイベイのオリーブ畑を散策すると、耕された土が、ふわふわの絨毯のようだった。肥えた土だ。「これは100年、これは200年くらい」と、彼らは、幹の太さで、樹齢を教えてくれる。何代にも渡ってその木を守り、一つの丘には、いくつかの家族がそれぞれのオリーブの木を持っている。オリーブの手入れの作業は、それぞれの家族が全員そろって、同じ日に一斉に行う。そして、早く終わった家族は、作業の残っている家族を手伝う。
 オリーブの幹の絶妙にねじれた芸術的な線を見るたびに、パレスチナ人は「美しい」と、その感動を口にする。

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2015年3月 3日 (火)

ジェリコ

 「世界最古の町」として入られているパレスチナのジェリコ。この町の運命は、不思議だ。

 「ジェリコの戦い」 Joshua Fit The Battle Of Jerichoは、結構日本人にも知られていう曲だろう。

 https://www.youtube.com/watch?v=gPZuWzZvoYQ

 ジェリコにある死海に流れるヨルダン川を歌ったのは「深い河」Deep River

 https://www.youtube.com/watch?v=TPslJMheiPU

 共にゴスペルであり、日本では中学校の音楽の教科書に載っている。なぜ、アフリカ系アメリカ人が、旧約聖書に書かれたジェリコやヨルダン川を、霊歌Spiritualとして歌い上げるのだろうと、霊歌の歴史を知らない者の一人として、ジェリコに立って思う。

 1948年、イスラエル建国宣言以来、パレスチナ占領に地道をあげてきたイスラエルだが、なぜかジェリコには手を出さなかった。ここには、紀元前8000年前から集落があったという。また紀元前1900年には、モーセのあとを継いだヨシュアがカナン人の町、ジェリコを征服した。もしかしたら、その道を歩いている人は、ジョシュアの子孫、つまりエジプトを脱出した直系のユダヤ人かも知れない。ユダヤ教会(シナゴーグ)の遺跡も発掘されている。 

 今のジェリコはファタハによるパレスチナ自治区であり、アラファトの後期の政策で、親米寄り。アメリカのゼネコン、そしてJAICAという名を借りた麻生セメントなど、日本のゼネコンによって「観光地」として、海外からも観光客がやってくる。パレスチナ人でビジネスに成功した人々もジェリコに別荘を建てる。

 ジェリコは、最も品質の良いナツメヤシが採れるところでもある。古代からオアシスがあり、何千年も前から、人々は水を求めてここにやってきた。今でも、ジェリコの人々は、イスラエル人以外、さまざまな訪問者たちを快く迎え入れてくれる。

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2015年3月 1日 (日)

2月26日 木曜日

 成田空港から、イスタンブール行きのターキッシュ・エアー・ラインに乗った。トルコ航空に乗るのは初めてかもしれない。普通は、油で揚げたピーナッツか柿ピーが出てくるのだが、小さなトルコ菓子が出てきた。「トルコ料理は、世界三大料理の一つ」ということで、機内食にも気合を入れているようだ。
 機内の中ではトルコ映画が映画のライン・アップにあった。その中のひとつ、 タイトルは「Yunus Emre Askin Sesi」。トルコ語なので、全くわからない。おそらく、Yunus(ユナス)という主人公が、メヴレヴィー教団(スーフィズム)に入って、修行を積み、詩人「修行僧ユナス」となる物語だと思う。
 修行僧ユナスは、森の中で、薪の木を伐って、僧院まで運ぶ。ユナスは師匠と問答をする。心の葛藤をの末、放浪の僧(ダルビッシュ)となり、信仰心を育む。
 天台声明の曲の中の「法華賛嘆」にも
 昔ノ大王ハ仙人ノタメニ
 千載(せんざい)ノ給仕ヲ至シテ
 一乗ノ妙法ヲツタヘ
 今ノ諸徳ハ権現ノ御タメニ
 八軸ノ真文(しんもん)ヲ講御(こうじましま)スソ
 貴(たっと)カリケル
 謹デ奉讃嘆(さんたんしたてまつる)
と歌詞がある。意味は、
 「昔、釈迦は、仙人であった堤婆達品のために、長い月日にわたり給仕をして仕え、大乗仏教の教えを伝えた。今の高僧たちは、姿を変えた仏。菩薩のために法華経八巻の真実を講演し、これをおさめることは貴いことなのです。このことを謹んで讃嘆いたします。」
 これは、 法華経の第11章「堤婆達多品(だいばだったぼん)」の物語で、釈迦が悟りを開く前世では、釈迦に反逆をした堤婆達多を師として仕えていたというところを歌にしたものだ。
 その問答は、チベットのゾクチェンの修行僧と師匠の話、禅問答など、さまざまな宗教の師弟関係の物語を私に思い出させた。
 
 思えば、3・11以降、日本の政治や経済が、とんでもないところに転がってゆくように思えて、ひたすら、政治、経済の本を読むようになった。それ以前は、天台声明を学び、ユダヤ教の聖典「雅歌」を暗唱したり、イスラエルに留学したころは、イエメン系ユダヤ人の賛美歌「ディワン」を学んだり、アラブ・イスラーム学院のころはクルアーン・クラブで毎週クルアーンの章を暗唱したり、宗教歌の勉強をして、平和に暮らしていたと思う。そういう平和の空気が日本から失われて、宗教的な世界(聖域)とか、その美学とかから遠ざかってしまったなぁと思った。
 
 しかし、トルコの政治などを見ていると、ヨーロッパとイスラム国の両方を見据えたしたたかな外交がある。エジプトでもアメリカのグローバル資本が侵入しようとしたのを最初に避難したのはスーフィズムの宗教家たちだった。アラブの独裁政権を避難するのもスーフィズムの人々だ。歴史を紐解くと、ペルシャからウィグルに至るまで、スーフィズムの詩人たちは、時の政権を避難した詩を歌い、そのほとんどが処刑されている。
 つい4日前に、原作・脚本して上演した「岸辺の大臣」は、特別秘密保護法案を題材にした創作能だった。前述したように、3・11以降、時世を見据えた作品を作るようになり、人々は私を「左寄り」と言うようになった。
 実は、自分が「左寄り」だという自覚はなかった。人から言われて、そう見られているんだと、他人事のように思ったものだ。しかし、私の本心は違う。しかしなぜか、自分でもどうしても、それが説明できなかった。
 
 宗教に目覚めたものは、形成された社会域外に、住まいする。祇園精舎もそうだったし、修道院もそうだ。そこで、現代の常識や思想、流行、時の政治権力から離れた「治外法権の域」に住む。それが聖域。そして、すべてから逸脱した世界の中に築かれる信念みたいなものを形成する。それが信仰。聖域に信仰をもって暮らす人々から見えてくるものを、世俗の人々は「智慧」と言って、敬意を評した。彼らには、世論は全く通用しない。世論の形成は、為政者が、無知な人々に「流れてゆく道筋」をつけてやることだ。その道筋の思惑が、修行僧には、透明に鮮明に見えてくるのだろう。決して、政治、経済を専門とせずとも。
 
 私は、修行を積んだ修行僧ではない。しかし、聖域を好み、修行僧たちの詩、つまり「聖典」を好んで歌っていた者が、3・11以降、日本の社会で何が起こっているのか、政治の全く素人として、取り組んでいったときのことを思い出してみた。
 まず、何が起こったのか全く把握できていなかった。さまざまな見解を述べる人々の「声」を聴いて、真実の「声」を聞き分けていった。心にやましさのある者の「声」を聞き分けていった。そこには、日本の歴史的な政治家たちの愚かさがあった。だんだんわかってきた。本を読んでもわかるようになった。そして詩が生まれた。詩は真実を伝えるものだから。それは預言でもある。これがメディウム(使者)、エヴァンゲリオン(伝達者)の使命だろう。

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2014年1月28日 (火)

鳥のことば

 今回の「鳥のことば」は12世紀のペルシャの神秘主義(スーフィズム)詩人アッタールの詩によるものです。
 この詩は、鳥たちが「真実」を求めて旅に出るという物語です。
 「真実」というのは「神」と言ってもいいでしょう。
 鳥たちは、この旅にほとんどの人生を費やします。これは修行をするダルヴィーシュ(スーフィーの修行僧)の姿でもあります。
 旅の途中で、「真実の旅」から脱落する鳥も出てきます。
 
 ペルシャの神秘主義(スーフィズム)。これはイスラム教(イスラーム)のシーアに属するとも言えます。
 しかし、イスラーム以前からあるギリシャにつながるペルシャの思想・哲学でもあります。
 「一は無限であり、無限は一である」
 この思想は、シルクロードを渡り、中央アジアで「華厳経」として仏教に取り入れられました。
 「華厳の思想」は、密教へとつながりました。
 彼らも修行僧として、山に籠り、また、山を走り、「真実」と一体となる体験を得るために人生を費やします。
 後に、スーフィズムでは、「無限は一である」という方向へと向いて「一神教」の思想となり、華厳の思想は「一は無限である」という方向から「多神論」へと、それぞれが向かっていったようです。
 
 しかし、ともに修行という旅の後に、「光」に出会うのです。
 「鳥のことば」では、最後まで旅を続けた三十羽の鳥たちは、「光」の前で彼らの魂が光輝いたのです。
 「華厳 Vairocana-Buddha」とは、「太陽に輝く仏(真実)」という意味。
 今回のライブでは、「鳥のことば」を日本語で朗読して、アラビア語で歌います。
 そして「鳥のことば」の各章の合間に「華厳経」の詩「讃」を歌います。
 そして、華厳の思想の時代の万葉集の和歌、そして白拍子も続けて挟まれてゆきます。
 ペルシャからつながる「花鳥風月」という楽園思想(オアシスのもと、木に咲く花、その枝に止まる鳥のある風景は、楽園の象徴)、そして「一は無限」という華厳の思想から、万葉集を読み直してゆきます。
 アラブ文化圏の人々は今でも、古代オリエント(今のエジプト、イラク、シリア、イラン)からみて「西の果」は、モロッコ、これを「マグリブ(西)」と言います。では、「東の果は?」と問えば、近い東は、ペルシャ、遠い東は、日本と答えます。つまり、彼らにとって、日本までが「オリエント(東洋)」。旅を続けたペルシャ系商人「ソドク人」の歩いたシルクロード、それは日本までつながっていると。
 
 日本は、鎌倉仏教以降、自力で悟りを開こうという修行僧の仏教スタイルから、「他力本願」の思想へと移行し、仏教は、修行をしない一般民衆のためのものとなりました。
 他力本願の仏教のイメージからは、今でも現存するアラブ文化圏のスーフィズムの歌や踊りは、遠いものに見えるかもしれません。
 しかし、年に一度の奈良博物館の「正倉院展」を見ると、というか奈良を歩くと、やはりそこにはオリエントが今でも残されています。
 アラブ白拍子計画は、白拍子がオリエントの旅をしに、遠い東の果から西に向かって歌い継ぐものです。
 「鳥のことば」
−ペルシャの神秘主事詩人アッタールと万葉集の「鳥のことば」による組曲−

2014/2/12(水)18:30 open / 19:30 start

チャージ:2,600円(予約は取っておりません。直接お越し下さい)

場所:音や金時 東京都杉並区西荻北2-2-14貴志コーポB!
TEL:03-5382-2020 
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~otokin/kokogaotokin.html

出演:桜井真樹子(白拍子・歌)、立岩潤三(ダラブカ、ダフ)、及川景子(Arab-oriental viloin)、今井尋也(小鼓)

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2013年11月26日 (火)

「変成花神楽」 プログラム『丹生の翁』解説

 巫女は、真名井(聖泉という意味を持つ)の周りで踊っています。 
 その声をたよりに、老いを重ね、老いさらばえた翁が、竹やぶの中から姿を現わしました。
 翁をそこに見た巫女は、老いた翁に向かって笑いかけます。笑われた翁も、次第に笑みを浮かべ、微笑み始め、そして腹の底から笑い出します。身体を震わせて笑うことによって、魂の老いは、はがれ始め、新たな魂となって、翁は若返ってゆきました。翁は、新たとなった魂に喜び、踊り歌いながら、竹やぶの中へ再び消えて行きました。
 月に昇ってゆくことが出来れば手に入れることが出来るはずの「変若水(おちみず)」。その手に届かぬ月を、巫女は、真名井に映して祈り、舞い歌います。
 真名井の「うけひ(水を送るために架け渡した管)に現れるのは、禊ぎの神「みぬま」。禊ぎは、魂を洗い清めます。丹後の比沼山(ひぬまやま)の真名井に現れた女神は、「豊宇賀能売神(とようかのめのかみ)」。彼女は、水と酒の神となりました。
 禊ぎの糧(かて)として遠い浄土から時を限って寄り来る水が「満つ」るとき、「満つ満つしい」「みづ」によって、「みずみずしく」若返るのです。
 この物語のバック・グランド・ミュージック&ダンス(背景歌舞)は、万葉集巻十三の3245番歌と反歌の3246番歌。
 万葉集 第3245番 「長歌」
 「歌詞」
 天橋文(あまはしも) 長雲鴨(ながくもがも) 高山文(たかやまも) 高雲鴨(たかくもがも) 月夜見乃(つくよみの) 伊取来而(いとりきて) 持有越水(もてつをちみづ) 公奉而(きみにまつりて) 越得之早物(をちえてしかも)
<意味> 
 天への通い路にあるという橋も、いくらでも長くなってくれればよい。高い山も、いくらでも高くあってくれればよい。そうすれば、それによって月のところに達して、お月様の持っている若がえりの水を持って来て、思うお方にさしあげて、年を若がえらせるものなのに。
万葉集 第3246番 「反歌」
「歌詞」
天有哉(あめなるや) 月日如(つきひのごとく) 吾思有(あがもへる) 公之日異(きみがひにけに) 老落惜文(おゆらくもしも)
<意味>
 空にあるところの日や月のように、いつまでも仰いでいたいと思うお方が、一日、一日と目立って年寄っていかれるのが、惜しく思われる。
*<意味>は共に、「折口信夫全集第五巻 口釈万葉集(下)」中公文庫 より

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2013年11月24日 (日)

「変成花神楽」対談 その3 <変身と旅ー異界との往環>

(変身と旅-異界との往還)
中西:なにか、神楽について可能性とかありますかね?僕今回の宣伝用にちらっと短い文を書いたけど、神楽は少なくとも予祝みたいな要素を持っているわけですね。予祝というのは、民俗学でよく言うじゃないですか、神様自体は白紙みたいなものだから、予めこちらからこのようにしてくださいねっていう農耕などの一連の運行を模して、お手本としてまずその姿を見せて、それにならって神さんがその年を好い年にとして行ってくれるようにしてもらおうとする願いの表れなんだって・・・あれ、何しゃべろうとしてたんだっけ?(笑)・・・で、そこには必然的に理想的な空間と言うのが描かれる。理想的な生活とか、理想的な季節の運行・循環が描き込まれていて、それはいうなればユートピアですよね。想像可能なユートピアの姿が恐らくは読み込まれているんだと思うんだけれども。たとえば坂本さんの創作にこれをあてはめて考えると、まぁ祭文自体が典型的にそれを示しているんだろうけれども、神楽なんかのもっている基本構造みたいなものに則っているなと思う所もある。まァ、桜井さんの今回の「丹生の翁」、あの若返りの話もそうですけれども。坂本さんは「牛頭十字架変身島」の中で、自身の性同一性に関するテーマと言うのを盛り込んで、それがどのように解放されて、それがどのように社会の中で受け入れられるべきかとか、自分の住める社会はどういう社会であるべきかとかみたいなものを擬古的な文章の中でなんとか読み込もうとしているわけじゃないですか。あれって祭文の基本的な姿勢だよね。恐らくは。願文というかさ。そういうものを集合的にいろんな芸能を併せてスペクタクルに展開したのが恐らく神楽の一つの側面だとも思うんだけれども。そういう意味で今回掲げたテーマの典型的な作業になってると思うんですけどね。まぁ、坂本さんのこういった作業は今に始まったものと言うわけでもないんだけれどもね。
桜井:うん。
中西:坂本さんが宗教芸能へ関心をもってからずっとそうだったんだと思うんだけれど。2000年ぐらいの「身の灯明」ぐらいからね。
坂本:まぁ、自分自身の変身と言う点では接点があるとは思いますが、その頃と今とは違いますね。
桜井:あの、今回の「牛頭十字架変身島」の中には「十字」というのが何回も何回も出てくるじゃないですか。その十字と言うのは十字架というようなキリスト教的なニュアンスみたいなものがあるじゃないですか。
坂本:まぁ、十字が十方へと変成するというのがまずあるんですけど、十字架のその十字も、それはある種の異質な異教として外からくる寄りもの・漂流物として物語の中に登場するわけだけれども。
桜井:まぁ、ジャンヌダルクもジル・ド・レーなんかが出てくるのもそうだけれども、まぁ、今は皆キリスト教を知っているけれども、村の人は土地の神や何とかというような仏像を見たら拝んだりしている中では救われない…と言ったら変だけれども、新しいパワーを持って新しいユートピアを築きたいというのが、十字架と切り離せない「十字」という言葉が出てきたときにどこか納得させられるところがあるんですよね。それは、キリシタンと言う人たちって、室町のころに京都とか浅草とか、都会で爆発的に増えるんですね。
中西:浅草?
桜井:浅草もキリシタンがいっぱいいったって。
坂本:そうそう。
桜井:なんで京都でキリシタンが大流行りしたかって言うと、皆駆け落ちしたり、年貢納められずに都会に出てきた貧しい人達が集まって来ていて、でも自分たちではそれまでの御主人様が「拝め」っていって、全員が「ははー、年貢が納められますように」って何の疑いもなく拝んでいたのが、年貢が払えない状態になった場合には、もうこの神様や仏様は拝まなくてもよくなっちゃって。そうして救いを何処に求めたらいいか?というのもなくなっちゃって、難民として京都にたどりついたときに、たとえば外国人宣教師みたいな人が説くキリシタンの話の中に、自分のよりどころとなる新しい思想を求めたというのはすごく想像できるんです。普通の人が神仏に拝むというよりももっと、自分はこういう所から性の転換をしたいんだとか言うような、普通の人の悩みじゃなくって、こういう風に物を変えるためには、十字架のような異教のものが入ると言うのがしっくりくるように思えるところもあって。出雲阿国も首に十字架をぶら下げながら新しい踊りを始めるとか、なにか既存の神仏を信仰する階層にはいなかったような人たちが見つける新しい宗教であるとか、そういうアンタッチャブルな人達に手を差し伸べた新しい救いの象徴のようなものが、今回の十字には重なって見えてくるところがある。
中西:なるほど。新しい土地に入ってきた新しい救済の姿を求めると言うキリシタンの話は面白いですね。坂本さん、あの、十方とも言ったけど、あの十字と言うのは何処から出てきたの?
坂本:十字は高橋睦郎が、『倣古抄』っていう詩集の中で1969年に書かれた「魂の宴」って言うのがあって、そこに変成女子と言うのが出てくるところがあって、以前そういう研究をちょっとやっていたこともあって興味を覚えたんです。そこで出てくるのがジル・ド・レーとジャンヌ・ダルクの十字架で、そこら辺と習合させて、変成男子即変成女子、海中からの寄りものが出てくる物語として書いたんだけれども。十字架って言う部分では、さっきの桜井さんからのキリスト教の話とつなげていくと面白いなと思います。
桜井:最初、これを読んだ時、波の何とか・・・ってあって、三島由紀夫の『英霊の声』って読んだことある?神道チックなもので、それはね戦後書いたものだって言うんですけれども、石笛(いわぶえ)を吹いていたらその人が神掛って、一挙に風景が戦前の日本に戻って来て、海の中で戦死者ですよ、英霊が次々に立ち上がってきて、最後に彼らを導く白い馬に乗った天皇が波の中から現れて、そしてその英霊たちを天に導き給うと言う話があって・・・
中西:そのイメージが坂本さんの祭文から喚起された?
桜井:いや、だからね、三島由紀夫だったら天皇が現れて国家神道みたいなところへ行っちゃうのに、坂本さんは十字とかジャンヌ・ダルクとか、もっとこう自由な、京都のキリシタンが持っていたようなイメージを持ってるんだなぁって。
坂本:あぁ。それは面白いねぇ。
中西:あの、海から現れたものが牛頭天王だというのはどういうことなの?
坂本:だから牛頭天王の祭文もいくつかあるんだけれど、そのなかでも「牛頭天王島渡り祭文」と言うのがあって・・・
中西:それは何処にあるの?
坂本:それは奥三河かな。
中西:牛頭天王が島を渡る海の祭文が山奥にあるの?
坂本:そうですね。疫病を・・・
桜井:面白い。疫病?
坂本:そう、疫病を「つしま(津島)」に送り返すと言う。
中西:「つしま」って対馬?というか、とにかくどっかの島、外の世界ということですよね。そこに疫病を送り返すということね。
坂本:だから、まぁ、牛頭天王と寄りものというのもある種の接点があると言うか。寄りものは漂流物の事だけれども、たとえば青が島という一番日本で祭文が残っている地域と言われているところがあって、八丈島よりもさらに沖なんだけれども、ここでは寄りものが島に漂着すると、島では非常に変身したものと考えられている。祭文自体もある種ここでは寄りものと言うこともできるんですよね。
中西:それは島の外から来た何かということ?まぁ、島の中になかった何かとか、あったものでも、島の外から来るものとなるとちょっと神がかった何かになっていると。
桜井:畏怖されるものになっている。
坂本:そうそう、そういうものとして考えられている。
中西:海を隔てて変身するんだね。
桜井:「蛭子」が「恵比寿」になって帰って来るような。
中西:そういえばあの恵比寿っていうのは何なんですかね。関西が信仰の中心なのかな。
桜井:だって淡路島から蛭子さん流されたんだもの。漁民が信仰したんでしょう。あれは未熟児みたいなものとか生きて産まれなかったものが流されて、返ってきたのが恵比寿さんなんでしょ。
中西:そう?じゃぁやっぱり一度海という外の世界に行って帰ってきたものが神に変身してると。
桜井:あ、福神漬けってそう。水子供養で流したきゅうりとかを水辺の人が拾って傷んでるところを切って、きつい味付けをして福神漬けとして売るの。この福神は福の神(恵比寿)の考え方と重なってる。
坂本:福神漬けって、そっからでてきてるんだ。
中西:やっぱり外の世界とか、異質の空間へ行って戻ってくる。
桜井:それはイニシエーションもそうだよね。ネイティブ・アメリカンでも男の成人式と言うと、一度森の中をさまよって、狩りをして、ずっと回って帰って来るのもあるし、動物を殺して狩猟者としての一つの最初の体験をして戻ると、一人の男性・成人として祝われるというような。子供から大人になる。
中西:アボリジニにもね。
坂本:狩猟は供儀と関係があるんですかね。椎葉神楽だと動物を神への捧げものとするとか。
中西:椎葉の場合は成人式とはたぶん関係はないんだと思うんですけど、まぁ、狩猟と成人に関する通過儀礼と神楽のような祭りとが関係のあるところとないところとあるのかもしれないけれども。とにかく外の世界を通過することによって子供から大人になると言った具合で一つの変身がおこると。で、成人式とはまた別のものだけれども、こういう考え方はお祭りの中でも物語をなぞる疑似体験を通して魂の救済なんかが図られるところでも見ることができると。
坂本:たしかに成人式とはまた別の形で通過儀礼としての側面は、「浄土入り」などにみられると思いますね。
桜井:まぁ、成人式のような通過儀礼と言うよりも神楽は村の中でのリフレッシュに近い事なのかもしれませんね。
中西:とにかく一回は仮想的な空間だとか、通常の秩序じゃない世界に一度行って、また通常の秩序の世界に戻って来ることでリフレッシュ。
桜井:あの秩父まつりって有るじゃん。山車が出て12月の、大騒ぎする。あのときでも、中学生とか高校生が「じゃぁ明日秩父まつりだから全部茶色に染めてください」とか言って、金髪に染めようが、ピアス開けようが子供は、何してもいいわけですよ。お祭りになったらすごい色の髪の毛とかお化粧したりとかして皆出てくるんだけれど、それは全然いいの。で、お祭りが終わったら髪を黒に戻してくださいとかいったり、ピアス取りに行ったりして次の日に学校行けば、誰もまったく何にも言わない。だからたった二日金髪にするためになんだかもったいないとも思うけれども・・・
中西:なるほど、それはハレの異装と言うやつだね。
桜井:うん。だから一回そういう風にして、やっちゃいけませんとか、不良ですとか何とか言ってるようなすべての格好が許される空間になる。
坂本:昔は学園祭とかありましたね。校則とかあっても学園祭の時にはそれをやっていいって先生が言う。
桜井:それはハレですよね。
坂本:そういう見方もありますよね。
中西:なるほど、リフレッシュする機能がお祭りの中にあると、ね。
桜井:でも、けっこうな人がリフレッシュしようとしてDランドとかハワイとか行くじゃないですか。パックツアーとかに行って楽しかったって終わってるわけですよね。「え、そんなことで帰って来たんだ」って思うでしょ。
中西:だからそこですよ。仏教の言葉だと思うけれども、自力的な方と他力的な方があるんですよ。いや、確かにね、以前はそういうことへ反感もあったけれども、やっぱりちょっと違う。と言うのは、各人が育ってきたそれぞれのリテラシーを形成する環境とかがあって、それぞれに異空間やユートピアの体現・想像の仕方があるわけだから同じように一元的な見方はするべきじゃないんじゃないかと思う。いや、桜井さんの言おうとしていることわかりますよ。なんでパックにまとめられたものを享受して満足できるのだろうかとか、ね。
桜井:ただ、彼らは彼らで、ここで我々が神楽を作ろうとしていることに対しては、なんてバカなことをして自己満足に陥ってるんだろうか・・・っていう見かたをされると思うんですよ(笑)。
坂本:というか実際神楽を継承している人たちが、だいたいDランドやハワイにあんまり境界がないと思っていて、実際三沢山内花祭の時に金髪に染めてる人が舞を舞ってたりしますから・・・
中西:いや、それは各地で神楽などを継承している当人たちは、Dランドやハワイとかパック旅行を面白いとおもって行くでしょう。でもね、今仮にここで私たちが神楽が面白いと思って、神楽の外部者から神楽の面白みをなにかと考えながら新しい創作に必然性や楽しみを見出したりすると言うこととそれとはちょっと違うことなんですよね。
桜井:ちがうねぇ。
中西:いや、こういう言い方をすると何を世間体を考えてるの、とかって言われるのかもしれないけれども。あるいは偉そうなことをと言うのもあるかもしれないけれども。でも、やっぱり私たちがこういうことを楽しんでいるというのもね、ちょっと違いますよ。まぁ、この三人の中でも神楽や祭文、翁なんかに何を見出そうとしているのかと言うのもちょっと違うわけでしょうしね。
桜井:うん。だからその人達は義務で、神籤(みくじ)で決まったことは絶対的なことがあって、その村の抑圧とでもいうものの中で一生懸命神楽はやらなきゃならないということの中でやっているということもあると思うし、それをやらなかったら・・・
中西:いやぁ、やらされるっていうのはほんとに嫌だろうし、こんな古臭い地味なことなんてって思ったりするような村のお祭りの舞なんかよりはエグザイルみたいな踊りを踊りたいでしょう。でも、中にはこれがほんとに面白い!ってやってる人もいたりしてね。こういう自主性と言うのは特殊で、伝承という受動的な枠を超えてある種の名人になるかもしれないんだけれども。こういう人たちの間にも、また、この芸能面白いなと思って見に行っている人たちともそれぞれに意識のずれがあることは確かですよね。
桜井:だからまぁ、反対にいえば、彼らにとって、これは自分たちの村のもので、その行事をよそから来た人には見せなくてもいいし、見るな、とも言えるものでもあるんですよね。それで外部者というのは何の責任も負わずに面白いと思って、見て帰れる、という気軽さも当然あるわけだし。普段していることがある中で、その時には私たちのDランドとして神楽が解放してくれるという見方もあるわけですよね(笑)。
中西:なるほど、神楽は僕たちにとってのDランドだったのか!(笑)
坂本:向こう側に行くんじゃなくって、こちら側に新しい神楽の中にあるトランス的な要素を導入した創作があるって言うことが新しい部分って言うか。逆に向こうから出てくる要素を取り入れつつも一線を置いて新しい事をやろうというか。
中西:確かに各地域で保存継承していこうという中では新しい事と言うのはなかなか生まれてこないですよね。保存しなきゃいけないという意識が強くなると割に先細りしがちだ。
桜井:まぁ、どんな保存協会だってみんな踏襲を目指してやってるわけだから。だから、彼らにとっては義務感かもしれないけれども、こちらではたとえ、すっごくつまらないものだとしても、ア、たぶんこれはこういう面白さがあったからじゃないか?って、自分たちなりのDランドを作ろうとしていることなのかもしれないですよね。
中西:そう。各地の伝承団体の中にでも民俗芸能がかっこいいと思ってやってる人達は必ずいるんですよね。たとえば岩手の黒森神楽なんかは神楽師のお兄さんたちを見るためにマイクロバス仕立ててファンのおばちゃんたちがついて行くとかね。確か広島の方でもスモークモクモクたいたり、面を派手に工夫してみたりして神楽の演出が大変でしょ。まぁ、これは神楽師というような半宗教者のエンターテイナーで、定住的な伝承と一緒にはできないところもあるには有るんだけれども。こういう場合にはサービスと言うものを考えるから、今回の私たちがやろうとしていくことよりももっとDランドのそれに近いエンターテイメントとして、東京で今回の試みから創出とか考えようとしているものとはまた違うファクターというのかな、方向性を持っての展開をしているだろうね。
桜井:何となくわかったのは、とにかくDランドのようなユートピア?というものを全員が欲していると思う。だからDランドへ行き、ハワイに行くんだけれども、それがアイデンティティを持たずに、というか、さっき出た言葉だと「自力」?自分が納得できる面白さ。他力ではなく、自分が楽しめるユートピアを作るためにこういう苦労をしてるんです、ってことだよね(笑)。たとえば「花の本地」って、花祭りを継承している人でオープンマインドな人だったら、「へぇ、おもしろいね」って言ってくれるかもしれないけれども、私が「マンハッタン翁(創作能)」って書き方をしたら、まず能楽協会から「まず能という言葉は能楽協会以外の人間はつかってはいけない」と言われる。それに加えて「翁は650年以上女がやってはいないから、まず翁を女がやること自体が翁ではない」とかですね。もうすごいですよ。
中西:まぁ、それは芸能者が持っている特定の芸能・演目に対する歴史的プライオリティーと言うのはたしかに主張できるとは思いますね。そしてそこに厳密な固有性とでも言うべきものはあるでしょう。あるでしょうけれどもまったくやっちゃいけないと言うことではないね。ないけれども、それをやるって言うことは色々な意味でかなりエネルギーが必要なことだっていうことだね。
桜井:だから、そのくらいもともとこれを継承してきた人が、自分たちの行ってきていることを脅かされるというか、お株を奪われるように思っちゃうくらいのものを作るくらいの自立的なエンターテイメントであるべきだし、またそれを作るくらいの気概でなくてはならない。作る上ではそれだけ、なんていうのかな・・・
中西:そうねぇ、たたかれますよ。確かに歌舞伎でもなんでも先行する芸能のパロディーの様なものを足がかりにしながら貪欲に独自の様式を気付き上げて行くということがエンターテインメントの中には有るわけだけれども、そのかみはやはり先行芸能を以てして枝分かれした芸能はそのヒエラルキーの下辺にどこか耐えなくてはならない時期があったりするわけですよね。
桜井:うん、だから、自由をクリエイトすると言うことは都会でというか、だから、今やろうとしていることはクリエイトを最優先すればこそ、Dランドに行って楽しむことに甘んじていられない。クリエイトを棚上げしたら、きっとパックツアーのハワイ旅行で十分に楽しめる私が生まれるはずなの。でも、なんかクリエイトが芽生えちゃったってことなんじゃないですか(笑)。
中西:まぁ、何か自分でやらなきゃ気が済まないって人が集まってるってだけなんじゃないですか。教室ですわってられないとか(笑)
桜井:そう(笑)
中西:まぁ、それは何処か発想自体が非定住的なんですよ。きっと。いろんなレベルがあるとは思うけれども、与えられたものの中で楽しみや満足を見出して行くっていうのは、決まった、限定の有る空間の中でどれだけ楽しみを見出しながら生活を全うしていけるかとかっていう定住的な生活の発想だとも言える。反対に神楽を新たに創作の糧にしていくということは、神楽が生まれたその原初的な部分から、既に継承されて定住的なパッケージされていったものとは違う視点でこれの可能性を問題化して行こうとすることですよね。娯楽としてと言うのは又別だと思うんだけど・・・
桜井:娯楽ではないと思うね。
坂本:楽しみじゃない。
中西:単に楽しみじゃないもんね。これはどっちかって言うと願立や祈願とでも言うべきものじゃない。新しい社会を私は希求していますというような、こういう世界が来てくださいと言うことが入ってくるわけじゃない。入って来るっていうよりも、そういう創作の仕方をしていえるよね。少なくとも坂本さんが自分の体について読み込むと言うのはね。桜井さんが新しい創作をしているというのも、モティーフは古に材をとったとしても、単にその演目をなぞっているというのとは違うものね。
桜井:うん。その新しいメッセージというか、「マンハッタン翁」であったら、現代の貧しい移民の老人たちを取り上げたものなんですよ。あれは移民のアフリカ系とヒスパニックと日系それぞれの背負ってきているバックグラウンドがマンハッタンと言う所で、難民とかああいう人たちは貧しいから、そういう問題を一つの舞台にするためには、日本の翁と言う原初的な処に求めると、それが表現できたというものなんです。
坂本:あれは実話が入っているんですか?
桜井:「マンハッタン翁」は、私、ニューヨークに行っていた時に、日系二世のジョージ・ユザワという人を取材して、彼ら戦前の日本人は、西海岸から戦時中に強制収容所に行って東海岸に皆来ているから、その歴史とか、戦後どうやって日系人が、貧困時代の日本人に救援物資を送ったとか、アメリカでの日本人差別からどのように民事裁判で人権を勝ち取ったかとかを取材して、その人の人生を翁の物語にした。で、私がアフリカ系アメリカ人のヒップホップをやっている、当時「ヒップホップ・クイーン」と言われていた人の家庭にホームステイしていたとき、彼らの祖先が、アフリカから奴隷としてアメリカに来たとか、どうやって今の自分たちがあるかと言うことをいってくれたこととか、そういったことすべてが「マンハッタン翁」に入っている。これはアメリカ人が反論するんだけれども、マンハッタンってところに行くと、綺麗なお爺さんとか綺麗なお婆さんとかがいないの。日本で田畑耕しているお爺さんとか綺麗でしょ。ああいうタイプのお爺さんがいないから、どうしてなんだろう?と言う所から作っていったんですよ。その土地とか自然の恵みを受けていると言う人が日本ではいるじゃないですか。それがもしかしたらマンハッタンという土地の恵みとかがまだ確立してないのではないかって。だからマンハッタンの移民で貧しく死んで行ったお爺さんたちが翁となって、マンハッタンの貧しい人々を祝福するっていう。これからマンハッタンのそういう貧しい人々は祝福されて、土地の恵みを受ける人に成るっていう気持ちで作ってる・・・
坂本:へぇ、わかりました。
中西:はぁ、予祝だ。
桜井:そう。それを筋立てするのには、日本の翁って言う原初をとらえて筋立てするのが私には有用なものだったっていう。坂本さんの話も、翁の話もやっぱり生きながらにして変身すると言う話をするところでは共通しているところもありますね。
中西:最初に三人で集まった時も、たとえば桜井さんが話された、ユートピアの話ね。花鳥図というのはその象徴図像なんだって。そういうこととかね、我々はユートピアをどう描けるでしょうねぇ。いや、今日は桜井さんの「マンハッタン翁」の話を聞けたのもよかった。なんだかこういう話をするのはなかなかいいねぇ(笑)。来年度あたりはちょっと三人でなにか作品の創作をしましょうよ。坂本さんも桜井さんも変身にまつわる創作がこれまであるようだから、そういうもので何か創作ができたら面白いんじゃないかしら。とりあえず今回はまずその前哨戦として我々の行く先をことほぐということでね(笑)。雑多な感じは残しておきたいですね(笑)。どうぞよろしくお願いします。
桜井:はい(笑)。
中西:どうです坂本さん。
坂本:やってみましょう(笑)。

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2013年11月22日 (金)

「変成花神楽」対談 その2 <神がかりと歌、そして神の性>

(神がかりと歌、そして神の性)
坂本:ま、その辺は神がかりというか、シャーマニスティック・トランスとやっぱり接点があるから。歌の源流というのがだいたいそのあたりにあるっていう説がありますね。歌の起源と言うのを見て行くと、神がかりとか託宣のあたりから派生していると。
桜井:うん。託宣というか神掛ることによって、会話の文章からポエティックな文章が生まれ、そのポエティックな文章が会話口調からさらに音の高さを伴ったものになって行くというのが、神掛りの証みたいな。
中西:あ、段階があるわけ?
桜井:文語調というかポエティックなことばにかわるとか、普段使わないような古い言葉を使うとか、五七五で定まっていたりとか、韻を踏んだことばがバーンと出て来て、通常の会話から変化する。会話の様に音の高さが特に指定されていないものから、音の高さがきちんと決まって、それを伸ばしたり短くしたり、音の高さを一音ごとに変えたりとかして、それを神のプレゼントというか下ってきたものとしてみるという。
中西:あ、それは面白いね。プラトン全集にイオンというホメロス歌いが出てくる。この人はホメロス歌いの大会で優勝するんだけど、上手く歌いあげたその所以はどこから来たものかと言ったら、全てムゥサという神の神殿の庭から下りてきたものなんだって言うの。最高の評価される芸能の面白さやなんかというのは演唱者の人為的なものではなくって、神から下りてきたものだという。あと、聞いていて思い出したんですが、今、日常の中にある言語が決まった音の高さや何かを伴って歌の様になっていった時にはすでに日常ある言葉とは違うものになっているという。で、花祭りで面白いと思ったことがあって、湯立てをする時の歌で、「こぎひろい」といったかな、湯立てをする時に使うものを水、釜とか火打ちや何かを「この水は七つの滝をこえてきた水ですよ」と言う具合に一々歌でほめると言うことがある。そういう風に歌でほめることによって日常にあるものが特殊な物にと変形していく。歌のフィルターを通して神事につかうような特殊な物にと変換していく。さっきの日常の会話が歌にとなっていく過程で言葉が特殊なものになって行くのではなくって、逆説的に歌をつかうことによって日常のものを特殊化させるような、そういう機能的な形で歌が使われているというのが面白くって印象に残ってるんです。たぶんこれは機能的だから、ちょっと時代的には下がったものなんだろうなと、今の話から創造されても来るんだけれども。
坂本:まぁ、花祭りだとさっきの神がかりにあたいする祭文が「降居の遊び祭文」になりますね。「降居の遊び祭文」は資料としては残っているんだけれども、やっぱりいろんな祭文をアットランダムに唱えると言うものであって、一貫とした祭文であるというよりは、それこそ歌状態で託宣に近くて、だから解読しきれない。太夫なんかが天蓋を頭にかぶってこれを唱えたのだろうという推測があります。
中西:あの、大元神楽とかも神掛りするよね。荒神神楽とかね。
坂本:大元神楽は天蓋を通して神掛るというのがありますね。荒神神楽だと「鱗おろし」といって縄をはって、荒神は蛇体で、この縄が依代になっていて、その竜のうろこを刀でおろすというのがあって、そこで託宣する。
中西:あれ、「ごーやごーさま」とか言って長い布を振って、それが体に巻きつくと言うのはどの段階でしたかね。それで三方に米を乗せて、これを撒いたりしてその年の占いをするとかね。
桜井:あ、私の記憶だと比婆荒神神楽は縄に寄りかかると神がかって皆に連れ去られるとか。
中西:あ、そうだ、つれてかれる。
桜井:で大元神楽をビデオで見た時には、神がかった人に「この人神がかった」と言って人が来て・・・
坂本:そうそう。私も大元神楽の神ががり託宣は2000年に、荒神神楽の鱗おろしは2003年にくらいに現地で生で見てます。
桜井:あ、じゃぁあれを見たんだ。天蓋が揺れて、太夫さんが急にそこの中に突入して、それを神職とかそういう人たちがばーっと取り押さえに来て、ぐるぐる回って、ことしのなんとかは~・・・とか言って(笑)。
坂本:そうですね。
桜井:あれはね、ぱっと声を聞いた瞬間に、あ、神がかってる…と、わかる声を太夫さんが出しましたね。あれは何なんだろう。声も違う。
坂本:まぁ、別な人格になるというか。
桜井:この人は普通じゃないってわかる声というか。
坂本:それこそある種の歌の起源と言うか、歌状態というか。
中西:そういうのを「歌状態」というのか。
桜井:もう朗々と歌うとか、そういうのではないんだけれども、声を聞いた時に、この人は神がかってるというような・・・
坂本:それで人格的には太夫は男性にも女性にもなるということがある。比婆の荒神神楽とかで聞いたことがあるですけどね。託宣の時に男の太夫が女子になって託宣すると言う、そこで人格が変成女子するという。
桜井:そこで性を超えた存在になるのかな。
坂本:うん、男性でも女性でもないような。
中西:それは確かに、アジアのシャーマニズムで、シャーマン達にはわりとそういうのは聞きますね。韓国でもタイでも男性の拝み屋なんだけれども女装しているとかね。
桜井:あ、シベリアでも男の人は女装する。
坂本:巫女衣装自体がもともと男性の太夫の衣装ですね。いざなぎ流の大神楽があるんだけれど、その衣装は巫女衣装で、男の太夫が此れを着ていて、女装をしてやっていたと見ることもできますね。
桜井:あの白拍子は水干着て烏帽子かぶるんですけど、稚児も同じ格好をしてるんですよね。水干で烏帽子で薄化粧をする格好で。だからなんというか男でも女でもないっていうそういう衣装があるのかなって。稚児と白拍子が同じ格好をするというのは、この人は社会の中で男の役と女の役とをして、男の人と女の人が出逢って結婚してっていう社会生活の中の人間の在り方ではなくって、女でも男でもない非社会の人間として芸能をやっているという・・・
中西:ほぉ、もうそれ自体が性別を超えて特殊な存在なんだ。神性稚児みたいなのと一緒だねぇ。遊女もそう。へぇ。
桜井:うん。それで仏や菩薩の化身というのが稚児とか白拍子のステータスって言うか。それで名前も「仏」とか「千手」とか、自分が菩薩と言ってるような名前を持つんですよね。
中西:はぁ、そういうのがじゃぁ、流れ流れて江口君みたいなものにも伝統的に潜伏してるのかしら。あれは普賢菩薩の化身だって。まぁ、これは遊女ですけれども。
桜井:うん、それはそうでしょう。ただ江口にはいわゆる性を超えたコスチュームはあったか分らないけれども。とにかく白拍子は水干と烏帽子。烏帽子は元服した人がかぶるものですけれども、だけど、男とか女とか、子孫とか家族制度とか、そういう全てから逸脱した人間のスタイルでもあるんですよね。稚児の場合は元服前の髪型であったりもするし。
中西:まぁ、そのあたりは遊行民、漂泊民とか言われるような人々の位相とも接近しているのだと思いますけれども・・・
坂本:まぁ芸能もだいたいそこらへんから出て来ていると言われますね。
桜井:基本的に非課税者。
中西:非課税者。それはかつての社会での非定住民と言うことですよね。
桜井:だから、社会に貨幣的に貢献していないわけですよ。だから年貢などを納めない代わりにそれに対する保護とかなにもないわけでしょ。住む家もないし。非課税所得者の生き方みたいなものでもあるから、だから、課税所得者からは差別をされるんだよね。
中西:坂本さん、坂本さんはだからもう税金払わなくていいってことじゃない(笑)。どうどうとゆすって生きていける。これはもう坂本さんは芸能者として生きて行くよりほかないということだよね(笑)。
坂本:いや(笑)。
中西:あ、三人で企画やりましょうって誘った時、桜井さん「坂本さんはそのものが神楽じゃない」って言ったじゃないですか、あれこういうこと?
桜井:いや、私最初に坂本さんのライブを聴きに行ったときに、あの時は結構現代音楽的なアプローチで曲を作ってたと思うんですよ。もっとこんなん(「牛頭十字架変身島」)じゃなくって・・・
中西:こんなん(笑)。でも、わりと現代音楽から坂本さんは始まってるよね。
坂本:まぁ、入りはね。
桜井:もっと現代音楽的な作品をやってたんだけど、もう声を聞いた時にそれこそ、荒神神楽とか託宣している人とおんなじ声だから。
中西:この声が。ほぉ。
桜井:だから歌手じゃないんですよ。ベルカント習って声を出してますとか、そういうメソードから作り上げた音楽じゃなくって、もう荒神神楽の太夫さんみたいな。で、よっぽど一杯そういうものを聴いてるんだろうなっと思った。
中西:分るんだなぁ。声ちょっと特殊でもあるからねぇ。
桜井:だって、駅前とかで歌ってる子たち一人捕まえても、ア、この子何聞いてるなってわかるじゃないですか。
中西:わかるねぇ。皆歌いたい歌を歌ってる人にと寄せて行くからね。
桜井:そう。ア、この人何好きなんだなぁ、この人はこういうの好きなんだなぁという全部わかる中で、あ、この人は神楽好きなんだなぁって(笑)。
中西:ほんと!?さすが音楽の先生だね(笑)。
桜井:だって神楽が好きなミュージシャンなんて私見たことがないよ。神楽が好きで神楽の声が出せる人はいないよ。
中西:もう神楽の中にのめっちゃってんだね。こういう評価してくれるひとがあるんだなぁ。
坂本:現代のトランス・ジェンダーの琵琶法師みたいだって最近は言われますね(笑)。ここ一二年大正琴をつかってますけど、大正琴が琵琶みたいって(笑)。

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