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2017年2月15日 (水)

「橘の嫗」あらすじ

【第一幕】

 橘は、田道間守(たじまもり)によって、常世の国から倭(やまと)の国に、万能の治療の実として、もたらされた。しかし、時は経ち、橘よりも甘味なみかんが現れて、橘は平安京の紫宸殿の「右近の橘」にのみ実らせるばかりとなる。橘は、万葉集の世に、ホトトギスと戯れた日々を懐かしんでいる。

 

【第二幕】

 中国は明の世に、みかんは日本にやってきた。その後、江戸は元禄の世になると、「紀伊国屋文左衛門のみかん船」の物語によって、日本の人々に大いに知られるようになった。ひよどりたちと戯れていたみかんだが、後に輸入の柑橘類に押されて、人々はみかんから離れていった。

 

【アイ(幕間)】

 「橘もみかんも、日本の風景から消えてゆくのだが、それはどうも新しい柑橘類が輸入されているかららしい」とホトトギスは語る。

 「卸売場で荷揚げされ、日本の市場に出荷されているようだが、建物の中なので、いったいどんな柑橘なのか私たちにはわからない」とひよどりは言う。

 そこで、ホトトギスは、戦後の経済成長から、1982年からの「オレンジ輸入自由化」の経緯を語る。

 ひよどりは、「路上に捨てられていた輸入オレンジを一度食べたことがあるが、農薬のひどさに胸を悪くしてしまった」と告白する。

 博識なホトトギスは、輸入オレンジにかけられているカビ防止剤について語る。

 すると、向こうからオレンジがやってくる。さてどんな物語を語ってくれるのだろう。

 

【第三幕】

 オレンジはカリフォルニアからやってきた。他の兄弟たちは陽を浴びてふくよかに甘く育ったが、彼女は日影で育ったために小ぶりで収穫のときに輸出用に仕分けられ、カビ防止剤を大量に浴びて、日本にやって来た。しかし、日本の子どもたちにとても人気があったので、オレンジたちは、いつもお弁当に入れてもらっていた。しかし、オレンジが大好きだったある女の子は、癌を発症。日本では原発事故もあり、オレンジだけが原因ではないが、オレンジは「私がその子を死に追いやった」と悔やんでいた。

 すると女の子が、オレンジの前にやってきた。

 そして、日本の柑橘の先達にあたる忘れ去られた橘やみかんもやって来て、オレンジをなぐさめた。

 ほととぎすとひよどりは、その女の子こそ、田道間守の子孫であると告げる。

 女の子は、ほととぎすとひよどりに「柑橘の枝」を手渡し、橘、みかん、オレンジを引き連れて再び常世の国へと戻ってゆく。

橘の嫗
2017年2月18日(土) 16:30開場 17:00開演
場所:楽道庵 http://n-as.org/rakudoan/map.files/map.htm
  東京都千代田区神田司町2-16 
料金:2,500円(前売り)3,000円(当日)
出演:桜井真樹子(原作・脚本、蜜柑)、坂本美蘭(橘の嫗)、ジュビリス・モア(オレンジ)、田代俊介(ホトトギス)、吉松章(ヒヨドリ)、藤木友美(地謡)、山田路子(石笛、龍笛、能管)、今井尋也(小鼓)

ご予約・お問い合わせ:makiko_puti@mac.com 090-6034-7716 (桜井)

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「橘の嫗」

 「柑橘の品種」岩政正男著(静岡県柑橘農業組合連合会1976年)によれば、蜜柑の発祥は、2000万年前、インドのアッサム地方ということらしい。柚子、金柑といった小さい円状のもの。「斎宮志」山中智恵子著(大和書房 1980年)によれば、八世紀ごろ、井上親王(717775)の斎宮(伊勢神宮に遣わされる未婚の神に仕える皇女)の内侍(斎宮に仕える女官)に播磨直月足(はりまのあたえつきたり)という人がいるが、その同族の典鋳播磨直弟兄(いものはりまのあたえおとえ)が、初めて唐の国から、日本に柑子(こうじ「うすかわみかん」とも言われる橘の変種)をもたらしたと言われている。

 古事記では、3世紀から4世紀ごろの大王、垂仁(すいじん)が不治の病に倒れたときに、新羅の王の子孫の田道間守(たじまもり)が「常世の国(海の彼方にある異世界、不老不死、若返りのかなう理想郷)」から、「非時(時間の経つことを超えた世界)の実」それで病を治そうと、持ち帰った。それが「橘」とされている。常緑樹である柑橘は、不老不死を思わせるのだろう。

 つまり、柑橘の祖は、インドから来ている。中世以前の日本にとっての世界の果ては、インド(天竺)。そこから、重い病をも治す果実を、異国の人を介してもたらされた。日本にはない、万能の治療の実を携えた異国の人は、日本の中枢に重用されたのかもしれない。いずれにせよ、それが日本の柑橘の歴史の始まりのようだ。

 時は経ち、14世紀、中国は明の王朝のころ浙(せつ)の国(今の浙江省、上海の南。省都は杭州市)から、蜜柑がもたらされた。蜜柑は橘と比べると、甘く、実も大きく、種も少ない。この「スウィート」は日本で爆発的な売り上げを伸ばした。そのビジネスに成功したのが、元禄時代の端唄「かっぽれ」で歌われた、紀伊国屋文左衛門である。

 橘の類の、小ぶりの球状の酸味の強い柑橘は、かえりみられなくなったものの、蜜柑の樹の根は、湿度の高い日本の土壌では、腐ってしまう。そこで、橘の樹に接ぎ木をして、生産されるようになった。日本では、橘あっての蜜柑なのだ。

 戦後、昭和時代の冬は、「みかんにこたつ」と言われるように、みかんを箱買いして、人々は、唯一の手頃なスウィーツとして、ひたすらみかんの皮をむき、手を朱色に染めて食べつづけたものだ。

 第二次世界大戦後、日本は、ひたすら日米関係を強めてきた。日本人の食生活の中に多くのアメリカン・スタイルが持ち込まれる。みかんを愛した昭和の時代も過ぎ去り、平成の世になると「オレンジ輸入の自由化」ということで、関税はどんどん下り始める。人々は、ネーブル、オレンジ、グレープフルーツ、レモン、ライムとカタカナで呼ばれる柑橘にそろそろと手を出し、その甘さ、爽やかな甘味に惹かれていった。

 しかし、日本にやってくる柑橘は、原産国の市場で出回る柑橘よりも形状の小さいいわゆる「規格落ち」したもの。売れ残った農産物を輸出用として、再び販売ルートに乗せ、さらに収益をあげようとしたもの。それらを船便で輸出するために、カビ防止剤を散布し、そこで製薬会社に参入の機会を与えた。イマザリル、チアベンダゾールといったカビ防止剤を最初に製造したのは、ベルギーに本社を置く、ヤンセン・ファーマー。世界最大のトータル・ヘルス・ケアカンパニー「ジョンソン・エンド・ジョンソングループ」の一員である。

 規格落ちした農作物は、カビ防止剤をかけられ船に乗り、世界中の海を渡っている。安価に売り飛ばされるものたちほど、その旅は続く。

 牛、豚、鶏といった市販食肉も、鮮度保持のために飼料添加物が投与され、さらには肥育速度を早めるためにホルモン剤が使われている。

 あるいは、生命体は遺伝子を組みかえられる。そしてその次は....?

 人類に食べられる植物も生物も、もはや自由はない。それを食べる人々も、生命と心身の健康を手放してしまった。

 

 野生に近いものたちは、人の社会から追いやられ、「甘く」「柔らかく」「優しい」新製品が、人にもてはやされた。

 「新しいもの」は常に人々を魅了し、それに、いち早くビジネスチャンスを見つけた人物は、成功していった。

 

 いにしえの、はるかむかしより、権力ある者や富豪たちの私欲のために、自然は(あるいは、自然に近いものたちは)、いつも悲しんできた。

  生きている限りできることは、闘うこと。

  しかし「橘の嫗」は、消滅する物語。闘いに敗れ、悲しみ、消滅するものたちを「幽玄(ゆうげん)」という。

 

 パスポートやビザ、入国管理で苦しむ難民や移民。でも鳥や魚には、パスポートもビザもいらない。入国管理ない。自由の象徴の鳥は、橘の嫗たちの魄霊(はくれい)を羽に乗せ、空を舞い続ける。

 

  今も、日米の貿易関税交渉は続いている。

橘の嫗
2017年2月18日(土) 16:30開場 17:00開演
場所:楽道庵 http://n-as.org/rakudoan/map.files/map.htm
  東京都千代田区神田司町2-16 
料金:2,500円(前売り)3,000円(当日)
出演:桜井真樹子(原作・脚本、蜜柑)、坂本美蘭(橘の嫗)、ジュビリス・モア(オレンジ)、田代俊介(ホトトギス)、吉松章(ヒヨドリ)、藤木友美(地謡)、山田路子(石笛、龍笛、能管)、今井尋也(小鼓)
ご予約・お問い合わせ:makiko_puti@mac.com 090-6034-7716 (桜井)


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