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2015年4月 4日 (土)

マンサフ

 3月3日。今日は、パレスチナ最後の日。「何が食べたい?」というので、知っている料理の名前といえば、マンサフ。だから「マンサフ」と言うと、途端に彼は、電話をかけ出した。「おい、サーヒル。今晩、マンサフ作りに来れるか?」そして、他の男たちにも電話をかける。「マンサフは、羊の肉を煮込んだり、仕込みに、3時間はいるんだ」「えっ、そんなに大変だったらいいよ、マンサフでなくても」「いや、そういうことではないんだ。」  どういうこなんだ?  さて、サーヒルがやってきた。男たちは言う。「彼はマンサフが作れるんだ。」  一つの鍋には、ヨーグルトのスープを作りつつ、別の鍋では、サフラン・ライスを作る。さらにもう一つの鍋には、羊が茹だっている。直径1メールほどの大きな皿に、薄いパンをちぎって敷き、ヨーグルト・ソースをかける。さらにその上にサフラン・ライスを敷き詰め、ヨーグルト・スープをかける。オリーブ・オイルで炒めたピーナッツを散らし、その上に骨つきの羊の肉を満遍なく敷き詰める。この大きな皿は、庭に運ばれ、その周りを男たちが囲んだ。サーヒルが祈りを捧げ、大きな皿から直接、スプーンで食べる。各自に配られたヨーグルト・ソースを再び、スプーンでかけながら。しかし、ひとりの男が「いまどきの男たちはスプーンなんて使うが、サーヒルが正しい食べ方を見せてくれる」と言うと、サーヒルは右手でサフラン・ライスを寿司を握るように固め、口に放り込む。私もがんばって、握り寿司方式で食べる。さらに「いまどきは、こんなおしゃれに羊の肉を切って、米の上に乗っけているが、本当は、羊の丸茹でをそのまま、ドンとおいて、それをみんなで引き裂きながら食べるんだ」  マンサフはなかなか男の食い物だったようだ。今では、家庭でお母さんが作ったり、レストランでも一つの皿に盛って出されるし、そう合気道の合宿めしがマンサフだった。  しかし、マンサフの原形は、男たちの団結を固めるものだった。サーヒルの父親はヘブロンの町のリーダーで、彼は父親の作るマンサフを手伝っていたので、本当のマンサフが作れるのだ、と言う。ヘブロンはイスラエル軍に対して激しい抵抗をした町。今日、集まった男たちも「ハリーリ(ヘブロンの男)」だった。  「同じ釜の飯を食う」「固めの杯」これらは、人々の結束を固めるものなのだろう。部族のリーダーの屠った羊の血と肉を共に分かち合う。同じ羊の血と肉が、男たちの身体に入り、彼らの魂に生命を吹き込む。そして男たちの身体を一つにして闘う。2000年前に、ユダヤ人のキリストは、最後の晩餐で、ぶどう酒を血にたとえて「これは私の血だ」と言った。それを回し飲みする。そしてパンを肉にたとえて「これは私の身体だ」と言って、再び回し食いをする。今日、カトリックのミサでは、このようにおしゃれにやっているが、おそらく、キリストの最後の晩餐はマンサフではなかったのだろうか?という説を聞くことも多い。ユダヤ教の七日目の安息日では、「三つ編みパン」と「ぶどう酒」を共に分かち合う。これも「マンサフ」だったかもしれない。三つ編みに結い上げたパンは、のっぺらな棒状のパンよりも肉の断片にも見える。エチオピアでは「ハンニバル」の原形があったそうで、智慧者が老衰し、死を迎えると、人々はその智慧者の肉を食べた。彼の智慧を肉によって授かるために。  血と肉が再び自分の血と肉となる、という実感がある者たちにとって、食べることこそ儀礼となる。

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