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2008年6月30日 (月)

ラヘルの詩

<もしかすると>

もしかすると、あのことは、なかったことかも…
もしかすると
朝起きて、夜明けの庭で汗を流して働いたことは、

収穫どきの長く、暑い日々
荷車に積まれた穂束の上に立って
歌声を響かせたことは、

澄んだ水の色、静らかな、けがれのない
私のキネレット…私のキネレットは
そこあったのだろうか
いや、夢を見ていたのかも?

作曲:イェフダ・シャレット
 http://www.youtube.com/watch?v=LeBesChGIBk

<キネレット(ガリラヤ湖)>

ゴランの山 
あそこに手を伸ばして触れてごらん、
静けさに安らいで、景色も心も止まったよう。
「ヘルモンおじいさんの山」
ひとり孤高に輝いて、まどろんでいる。
白い頂(いただき)から冷たい風を吹かせて

岸辺には背の低いヤシの木の梢(こずえ)があって、
からまった髪のようなヤシの葉は
まるでいたずらな赤ん坊のよう。
その葉がキネレットの水の中にすべってゆく。
足をばたばたさせるように…
その水はゆらめいている。

キネレットの岸辺には、冬でもたくさんの花が咲いている。
赤いアネモネ、オレンジのサフラン。
ある日
野菜は七倍もの緑色になった。
空は七十倍もの青い空色になった。

私はただ生きているだけ
生きて行く糧も失い、うなだれて歩くことしかできなくても
心は、灯された火のようにまっすぐに立っている。
キネレット、
私は
あなたを裏切ることができようか?
あなたからもらった少女時代の恵みを
私は忘れることができようか?

ラヘルについて
http://www.jafi.org.il/education/moriya/tiberia/rachel.html

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2008年6月22日 (日)

キブツ・キネレット

6月8日(日)
 この日は、シャブオト(収穫祭)で、キブツ・キネレットに行った。
 「キブツ」は、集団開拓、集団農業経営をする共同体。
 「キネレット」は、ガリラヤ湖のこと。「キノール」がもとの単語で、「竪琴(たてごと)」という意味。地図でみると、ちょうどダビデの竪琴をさかさまにしたような形。
 このキブツ・キネレットは、今年で95周年目にあたる。
 最初にこの場所に、25人ぐらい来て、開拓をはじめた。何を植えようか?と思って、この中のひとりが、イラクに行き、なつめやしが育っているのをみて、これを植えようと苗を持って帰った。今では、なつめやしのドライフルーツは、イスラエル人にとって欠かせないもの。
 独立戦争前、60年より前は、キネレット周辺に住んでいた人たち、お金を持っていた人たちは、年に1,2度、キネレットの北、レバノンのベイルートまで「お買い物」に行くのが、ひとつの楽しみだったそうだ。そこで、フランス製の洋服とか、食器、それから、日本の着物とか、九谷焼、伊万里焼の食器を買ってきた人がいる。ある家を訪ねた。その家の孫娘がおばあさんに「私が結婚したらこのカップ、私にちょうだいね」と約束をした古い九谷焼がある。

 キブツが創設された当初は、食費も家賃も光熱費もランドリーも、共同シャワーも一切無償。だから「とにかく命だけイスラエルに持ってきてくれれば、決してお金は貯まらないけど、生きて行けます」という方針を掲げたので、世界中のユダヤの人々は、キブツに来て、共に働いた。親と子どもは別々に暮らす。夜、寝るときも親の家には帰らず、そのまま、「幼稚園合宿〜高校生合宿」が続く。50年前ぐらいから、親子で住むようになった。高校生になると、週に一度は、キブツの仕事を手伝う。そのときに、何の仕事に就くかを考える。農業、酪農、工場、その他いろいろ。
 けれども、今は、その人の労働に応じて、キブツから月給が出て、すべては、お金を支払うシステム、いわゆる、一般的な社会とほぼ同じ経済のシステムで運営されている。現在の方針は、「働かざるもの食うべからず」

 このキブツ・キネレットは、二人の女性アーティストを生み出した。
 ナオミ・シェメルhttp://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/biography/shemer.html と、ラヘル。
 ナオミ・シェメルは、「イスラエル唱歌」の作詞・作曲家とも言えようか。滝廉太郎と東くめをいっしょにしたような人。イスラエル人は、ナオミ・シェメルの歌を小学校で歌う。キブツ・キネレットの小学校の建物の壁には、ナオミ・シェメルの「アル・コール・エレ(すべてのものは)」の五線譜が書かれている。
ラヘルは、詩人。ヘブライ語の響きに魅了されてイスラエルに来て、ヘブライ語を修得したが、若くして結核で亡くなった。そういう意味では、23歳で肺結核で亡くなった瀧廉太郎と似ている。ナオミ・シェメルが大衆的路線だとすれば、ラヘルはもう少し、繊細かつ深いイスラエルの人々の心に響く詩を書いた人だろう。
 
 シャブオット(収穫祭)のイベントは、夕方6時ごろから始まった。まず、収穫にあたって使っているトラクターなどの運搬機械の行進。それからステージ場で、幼稚園、小学校、大人たちの、日頃練習した踊りをご披露。頭に花輪をつけて、みんな大地に遊ぶ妖精に扮する。植物の実りを妖精たちと人々がと主に喜ぶ祝祭。「草花化身」である。
 そして、実ったものをみんなの前でご披露。祭壇ができる。特に人気は、はちみつ。みんな寄ってたかって、なめている。キブツ・キネレットはハチミツの製造としても有名。特に、なつめやしの花で養蜂したハチミツは、代表的特産物。

 そのあとは、プールサイドでみんな持ち寄って、いっしょにごはん。シャブオットの期間は、みんな乳製品を作って食べる。
 儀礼と直会(なおらい)が、フランクに、堅苦しさなしに行われる。
 歴史からいうと、キブツは、見ず知らずの人たちが、突然共同生活をするところだ。何代も前からお付き合いをしている古い町の人々ではない。ひとりひとりが、直ちに共同体の自治に参加している自覚を持つ必要がある。
 私は、児童自立支援施設で14年間働いたが、雰囲気はまことに「施設」の感じがする。そこでも、「作業学習」という名のもとに生徒と一緒に農作業をして、とうもろこし、きゅうり、トマトの収穫期に合わせて、夏のお盆のころに「納涼会」が、催される。みんなでカレーやかき氷を食べ、スイカ割り、金魚すくいをして、花火大会で締めくくる。
 
 次の日にキネレット(ガリラヤ湖)に行く。キネレットから南へヨルダン川となって流れる。その終着点が死海。
 昔は週末に、泳ぎにくるのは、キブツ・キネレットの人たちだけだった。しかし、今は、ここ5,6年前からは、彼ら自身が、宿泊施設、キャンプ場を作って、観光地として経営を始めている。
 キネレットの浜辺には、貝をたくさん見つけることができる。ユダヤ人は「コシェル」http://ja.wikipedia.org/wiki/カシュルート という食事の戒律を守っている人が多く、貝を食べる習慣はない。だから、あさり、しじみの天国。かれらは、石に巣作り、死ぬと、その石からはがれる。いわゆる「穴あき石」、平田篤胤のいうところの「石笛(いわぶえ)」が、大量にころがっている。
 キネレットの岸辺には、キブツ・キネレットで亡くなった人たちのお墓がある。ナオミ・シェメルもラヘルの墓もある。
 

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2008年6月 7日 (土)

パレスチナの学生集会

6月2日(月)
 テルアビブ大学の正門前に、オレンジ色のTシャツを来た学生たちが、机を出してビラを配っている。見ると、あっ、ウードを持った、サズを持った人の写真が…。
「これ、今日、大学で聴けるんですか?」
「ええ、6時半から」
「行ってもいいんですか?」
「ええ。もちろん、私たちの文化に興味を持っているなら…」
「あ、行きます。ありがとうございます」
学生の着ているオレンジ色のTシャツにも、このビラの説明にも(A3のサイズで2枚分)にも英語はもちろん、ヘブライ語もいっさい書かれていない。
 アラビア語のわからないイスラエル人にとって、このビラはどこか「いぶかしげ」
 この集会の名前は、わからない。ホールに行くと、学生が演説している。アラビア語は、私には全くわからない。残念ながら何を言っているのかわからない。何かひとくされの文章が終わるごとに熱い拍手がおこる。みんな感動している。
 そのあとでパレスチアナ人代表の国会議員のひとりの演説。さほど学生たちは感動していないようだ。しかし、声がデカイ。それもだんだん熱が入ってから30分以上、早口でデカイ声でまくしたてている。しゃべっている間、上着を脱ぎ、袖をまくり…暑そうだ。演説が終わり、学生たちの拍手で終わった。

 日本人というか東洋人は私だけ。集会のホールに入って、座ってもとがめられない。
 「あの、何言っているのか、わかってるんですか?」
 「いえ、あの、わからないんです」
 「えっ?じゃぁ、つまんないでしょ?なぜ来たの?」
 「なんか、音楽家の演奏があると聴いて…」
 「ああ、もうすぐですよ、たぶん8時ぐらいから」
 しかし、実際に演説が終わったのは9時過ぎ。

 そして、写真にあったサズをもった人たちが出て来た。男性2人組の彼らは、最初に寸劇をやった。一幕目は、彼らがおじいさんとおばあさんになって、何かちょっと、世間からズレたようなことを言って、笑わせる。翁(おきな)と媼(おうな)、こういう文化って、どこにでもあるんですねぇ。そして、次は、パレスチナ人とガードマンのお笑い。ガードマンに要求されて、パレスチナ人がIDカードを見せたり、ボディチェックをしたり…日頃のストレスのたまる茶飯事を笑いに変える。学生たちは大笑い。これは、笑いの基本だと思った。
 これと似た感覚が自分の中でよみがえってきた。昔、大阪の在日朝鮮人の友達に連れられて、演説と寸劇と学生によるサムルノリを見に行ったことがある。そのときも、ある伝統的なお笑いの演劇をハングル語でやっていた。日本人の私にはわからない。でもそのハングル語に回りの人たちは、大笑い。そして、これらのテイストは、吉本新喜劇の「吉本劇場」の寸劇にもある。いわゆる「大阪ユーモア」とでも言おうか。
 私は、ひさびさに大阪お笑い演劇を見たような気分になった。内容はわからないが、私なりに、懐かしく、とても楽しい気分に浸っていた。
 そしてサズと歌。でも、これもお笑いをとる歌だった。1番2番とわかる歌の繰り返しで、どんどん笑いをとっていく。サズって、こういう風にも使われるんだ…。
 さて、トリは、ウードとダルブッカとバイオリン。ひさびさにマカーム(旋法)のちゃんと聴き分けられる気持ちのいい歌。バイオリンもマカームに合わせて演奏される。3曲目ほど、演奏されると、オレンジ色のTシャツを着た学生たちが、手拍子を取って歌い出す。すると、その歌のリクエストに答えて演奏家たちが、その曲を始める。そうすると、聴衆者たちも盛り上がって、スタンディング・オベイション。これが何度となく繰り返される。輪になってアカペラ(無伴奏)で歌う学生たち。またまた私の中でよみがえるものがあった。弱小阪神タイガースが久々に勝つと、誰ともなくフェンズの向こう側で、みんなが「六甲おろし」を歌い、手拍子をとり、見知らぬものもかまわず、みんなで手をとりあって狂喜乱舞する。あー、六甲おろしだ。久々に心が晴れて、久々に楽しい、これがパレスチナの学生集会なんだ。そしてさらに、手拍子をとり、浮かれて踊る学生たちをみて、神奈川の奄美大島県人会、宮古島人頭税廃絶記念日に島唄で踊り出す人々を思い出した。これらの、私の言い方は、私が今まで経験した中の、私の記憶の中で、似たような情感を思えばである。
 しかし、歌わずにはいられない、踊らずには、いられない。そうやって、歌い踊っている人々を見ていると心に熱いものがこみ上げてくる。そのことに変わりはない。

 演奏会、ではなく集会が終わると、「記念品をどうぞ」とあまった記念品をオレンジ色のTシャツを着た学生からもらった。「え、いいんですか?」「ええ、今日の記念に是非」

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