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2008年4月29日 (火)

ユダヤ人の結婚

 <法則 その1>
 もし、母親がユダヤ人の場合は、父親が誰であろうとその子どもは、100パーセントユダヤ人である。
 <法則 その2>
 子どもは100パーセント母親が何人かによる。

 <法律 その1>
 ユダヤ教のコンサーバティブ(正統派)のラビ(司祭)の前で結婚をし、市役所で婚姻届けを出して、結婚が認められる。 
 ユダヤ教の結婚をしないで、市役所に婚姻届けを出しても、結婚が認められる。しかし、だ。

 現在、ユダヤ教には、3つの派閥がある。
 1.オーソドックス(orthodox 正統派)
 2.コンサーバティブ(conservative 保守派)
 3.リフォーム(reform 改革派)
 イスラエルのユダヤ教会のほとんどは、オーソドックス。
 コンサーバティブとリフォームは、アメリカのユダヤ教会に多い。
 イスラエルには「宗教法」があり、その「宗教」とは、ユダヤ教のそれもオーソドックスに限られている。つまり、「イスラエル人=オーソドック(正統派)」なのだ。

<法律 その2>
 オーソドックスのラビ(司祭)の前で結婚した夫婦子どもは、イスラエル人と結婚できる。彼らは、コンサーバティブともリフォームの家庭の子どもとも結婚できる。しかしオーソドックスの結婚式をあげなかった子どもは、イスラエル人とは結婚できない。
 コンサーバティブのラビ(司祭)の前で結婚した夫婦の子どもは、イスラエル人とは、結婚できない。彼らは、コンサーバティブ、リフォームの家庭の子どもと結婚できる。
 リフォームのラビ(司祭)の前で結婚した夫婦の子どもは、イスラエル人とも、コンサーバティブの家庭の子どもとも結婚できない。
 
 もし、イスラエルで「結婚てきない状況なのに結婚したい」場合は、イスラエルの宗教法の治外法権、つまり外国で結婚しなければならない。あるいは、子ども自身が、オーソドックスのユダヤ教徒に改宗することもある。
 
 「もし、オーソドックスの家庭の子どもとして、あなた(つまり、わたし、日本人である白拍子静)がユダヤ人として結婚して子どもを育てたい場合は、簡単なオーソドックスの試験を受ければ、あなたはすぐにオーソドックスになれるし、オーソドックスの家庭を築ける」
 「子どものことを考えたら、普段は宗教的でない生活を送っているイスラエル人も、一応オーソドックスのラビ(司祭)の前で結婚するんだよ。」

 「子どものことを思うと、子どもが成人するまで離婚出来ない」これは、日本人夫婦がよく言うセリフですね。
 これと同じものが、イスラエル人の中には、「子どものことを思うと、オーソドックスのラビ(司祭)の前で結婚する」ことのようだ。

 で、もし、日本人の白拍子静が、断じて、ユダヤ教徒にならず、オーソドックスのラビ(司祭)の前で結婚しなければ…?
 再び、ユダヤ人の<法則 その1、その2>に戻ってみましょう。
 
 “もし、母親がユダヤ人の場合は、父親が誰であろうとその子どもは、100パーセントユダヤ人である。子どもは100パーセント母親が何人かによる!”

 そうです。父親がユダヤ人であろうが、オーソドックスであろうがなかろうが、母親が、断じて日本人であることを捨てなければ、その子どもは100パーセント日本人です。

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2008年4月26日 (土)

シャバット"sabbat"

 シャバット(安息日)は、金曜日の夜から土曜日の夜まで、この一日が休みの日になる。イスラエルでは、日曜日が「第一日目」で、みんな仕事を始め、学校に行く。
 「7」を区切りとして考えることが多い。
 農業も、昔は6年間耕したら、次の7年目は、1年間土地を休める。何もしない。そうしないと土地がやせてしまうからだ。
 今でも、宗教的な家庭の庭では、7年目に入ると、庭の手入れは一切しない。木が枯れない最低の水だけ時々やる。その年に実った果実は、誰が勝手に取って食べてもいいそうだ。
 主人と奴隷の関係もそう。奴隷は、6年間ユダヤ人の下で働いたら、7年目には、自由になる。主人から解放されるのだ。しかし、もし奴隷が「私は、これから先もずっとあなたの下で働きたい」と願うと、主人は、その奴隷の片耳を半分切らなければならない。耳が半分しかない奴隷を見たら「あれは、ユダヤ人のもとで6年以上働いている奴隷だ」とわかるように。主人は、そんな残酷なことをしたくない。だから、奴隷が、経済的な事情であれ、なんであれ、これから先も働きたい、という申し出をなんとか説得して、自由になることを勧める。
 この考え方から、サバティカル”sabbatical”が生まれる。6年間大学の教務に携わった者は、7年目に有給で、休暇を与えられる。休養するのもよし、研者、創作家なら、その一年で、まとまった研究や創作に専念する。そうしないと、才能が枯れてしまう。
 再び新たな1日、1年目を始めるために。シャバトン(全き休息)が必要なわけだ。
 今日は、シャバット、この日の夕食は、家族がみんな集まって、お母さんの手作りのディナーコースを食べる。ケーキもアイスクリームもコカカーラもシャバットの日だけ。毎日アイスクリームはナシなわけだ。
 「全き休息」を楽しむために、まじめで慎ましやかな6日間がある、という彼らの生活の知恵だ。

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2008年4月21日 (月)

「過ぎ越しの祭り」の夜

過ぎ越しの祭を家庭で過ごすとき、その主役は、子どもたち。お父さんは、子どもたちに、過ぎ越しの祭りについてひとつずつ説明をしながら、祈りと儀式を進めていく。
 しかし、この過ぎ越しの祭が始まるのは、シャバットが終わってから。つまり、空に三つの星を見て、次の日(つまり、ペサハの日)が始まる。シャバットが終わるまで、ペサハの準備は、出来ない。シャバットが終わって、ペサハの食事の準備を始める。すると、過ぎ越しの祭の祈りが始まるのが、だいたい8時頃。そして、だいたい食べ始めるのが10時、全部の祈りが終わるのが12時過ぎ。子どもの起きている時間ではありません。
 そこで、「お楽しみ」を作る。
 ペサハ(過ぎ越しの祭り)では、その夜の祈りのために、マツォットを3枚用意する。ひとつは、コーヘンさん(という姓=かばね、物部氏、大伴氏、占部氏、中臣氏みたいな氏族のなまえのひとつ)のため、ひとつは、レビさんのため、もうひとつは、他のイスラエルの人々のために。その3枚の真ん中にあたるレビさんのマツォットを半分に割って、その半分を子どもたちが、お父さんの目を盗んで隠す。するとお父さんは、わざと「あれ、レビさんのマツッォトの半分がない。これがないと儀式が終わらない」と慌てる。子どもたちは、「マツォットは隠したよ。出してほしい?」、お父さん「何でも買ってやるから、レビさんのマツォットを返しておくれ」、子どもたち「じゃぁ、ゲームソフト買って」。これで取引成立。このために、今日だけは、子どもはがんばって起きて、過ぎ越しの祭りの夜を過ごす。しかし、12時ごろになると、子どもたちは、椅子には座っているものの、まぶたは閉じているようだ。私のいた家庭では、終わったのは夜中の2時。私がニューヨークのシュロモ・カルリバッハのところで、過ぎ越しの祭りを過ごしたときは、朝まで続いた(出エジプト記12章42節)。
 この祈りのための3枚のマツォットは、手作りで、さすがにまずい。市販のものは、それなりに塩味がついていて、食べやすくなっていたことを改めて知る。
 マツォット、わさび…まずいもの、苦いものを食べて、エジプトでユダヤ人が奴隷だったころの苦々しい歴史を心に留める。
 では、「過ぎ越しの祭り」とは?
 お父さん、というかこの儀式のための「祈り本」いわく「ユダヤ人がエジプトの王ファラオの奴隷から、脱出したとき、海は二つに割れ、川は逆流して、山は笑った。ユダヤ人が自由を求めた歴史的な瞬間だ。しかし、これは、ただ単なる歴史ではない。今、あなたにとってのエジプト(奴隷である場所)から、自分自身を解き放ちなさい」。
 そうやって、アイデンティティを子どもに伝える。
 
 翌朝、ユダヤ教会(ベイト・ハクネセット)では、出エジプト記10〜12章が唱えられる。ペサハは、ユダヤ人にとって最も大きなまつり。多くの人々が集まる。出エジプト記の朗唱が終わると、これから秋の大きな祭り、スコットの日まで、どうか、この半年(夏期間)、私たちに、朝露の「露=水」を下さい、という「露の求める祈り」に入る。その祈りが延々と歌われる。今年の冬の雨は少なかった。彼らは、真に心から、露が草に降りてくるのを願って祈る。
 第二の大きな祭り、スコット。この日は、ユダヤ聖典の朗唱の後、ペサハの日まで雨を降らせて下さいと、「雨の求める祈り」をする。
 露と雨、二つの水を神に求めること、これは、重要です。祈りのリアル(現実性)を感じる。

 ペサハの夜は満月です。イスラエルは春の空気が済んでいて、仲秋の名月のように月は美しい。祝日は、終わった。よ〜し、みんなでメシ食いに行こうぜ!と言って、レストランに行く。でも、このペサハから一週間、レストランでも、ハメッツ(酵母菌のない料理)は、守られていて、パンは出て来ない。
 
 

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2008年4月19日 (土)

過ぎ越しの祭(ペサハ)

4月19日(土)の日没からペサハ(過ぎ越しの祭)が始まります。この祭は、出エジプト記の12章に基づいています。「この歴史を忘れるな」っていうことで、とにかくユダヤ人は、「食べ物」の習慣に変化を与えることで、その記憶を留めることが多いです。ペサハ(過ぎ越しの祭)もいろいろありますが、何と言っても「マツォット(酵母なしパン=味なしクラッカー)」をこれから一週間食べ続けなければなりません。昨日買い物にいっても、ペサハのために、パンもピタ(アラブのパン)もケーキも、酵母やベーキングパウダーでふんわりしたものは、姿を消した。パンがない、パンが。
宗教的な雰囲気の嫌いな人たちの住むテルアビブでもそうです。んで「正直言うと、マツォットはまずい、サイテー」と宗教的でない若い子たちは言う。それでも、ビスケットを食べる。パンじゃない。
で、マツォットはまずいか?というと、日本人の私にとっては、味のないクラッカー、つまり、白いご飯と役割は一緒なので、結構いける、と思いました。ちょうど白いご飯ぐらい味がなくて、おかずと一緒に食べるといった感じ。
「へぇ、ユダヤ人でもないのに、マツォットおいしんだ〜」と人々の不思議な目が向けられます。
彼らは、宗教を守るつもりはないけど、何となく気が引けて、そういう人たちの前では、みんな我慢、がまん。もちろん、全く関係ない人たちばかりになると、そんなこと考えなくてもいい。
ケーキがない、ってことは、マツォットでケーキを作る。チョコレートとトゥヒナ(ごまペースト)を混ぜて、平べったいマツォットの上に塗って、またマツォットを重ねて、またその上にチョコレートを塗って、レンガ作りのようにして、ひとつのケーキみたいにする。つまり、「ミルフィーユ」みたいなお菓子になります。これを、一週間かけて、食べます。
ペサハもシャバットみたいに、絶対に仕事をしてはならない、しかし、食事の用意はしてもいい。
写真は、マツォットとレタスのサラダ。
もちろん、シャバットもペサハも祝日に写真撮ってはいけません。今、家に誰もいないから、そのスキに、カシャッ(すみません!)
ハグ・ハメア(祝日おめでとうございます)!

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2008年4月17日 (木)

グーシュ・ハラブ

 4月12日、土曜日ということは、シャバット(安息日)。みんなそろって仕事をしないので、正々堂々とみんなそろって休みを過ごす。そこで、近所の人が、グーシュ・ハラフに連れていってくれた。レバノンが、「そこ」に見える。「2年前は、そこで、戦争してたよ」。そこで、会った人は、アラブのクリスチャンの人たち。オリーブ、アーモンド、ナッツ、りんご、もも、さくらんぼの農園をイスラエル人と共同で経営している。
 今は、全部、緑色の堅い実をつけている。ナッツやアーモンド、オリーブは、その緑色の実をオリーブと塩とつけて食べる。今のうちなら種もいっしょに食べれる。「青い実」の独特の渋みもまたいいもんだ。慣れないイスラエル人は、やっぱり渋くで食べられないと言っている。
 新鮮な油の実、といった感じ。

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2008年4月 6日 (日)

イスラエル

ウィーンで勉強したのは、26年前、イスラエルに行ったのが20年前、まさしく人生の復習をしているような日々。
初めての留学先のホームステイの家族のお父さんが病気で、イスラエルに行くなら、その前に是非ウィーンに寄ってほしいと言われ、それを真に受けてウィーンで途中下車(途中着陸?)。ところが、その後、心臓病の問題は誤診だとわかり、気も晴れたのか、お父さんは元気。当時、あまりにも若く無知だった私は、ホームステイのお父さんは、チェコから亡命した人とは知りませんでした。何か兄弟としゃべっているときは、ドイツ語じゃないなぁ〜みたいな。今は、オーストリアにいても、チェコで車で2時間で、彼の故郷ブルーノに行ける。そこで、ブルーノでドボルザークのオペラ、rusalka(ルサルカ)を聴いた。彼らは言った。「20年前、まさか、故郷に2時間で車で帰れるなんて、信じられないことだった。こんな日が来るまで生きていてよかった。」
最後の日は、ワインケラーへ。
オーストリアは、ドイツと同盟国だったので、イスラエルと聞くと、複雑な心境がある。私が、言うべきことか、どうか。しかし、心底、根深いユダヤ人への差別を感じざるを得ない。彼らは努力していて、もしイスラエルに対する差別的な言動を取ると、刑罰を受けると言っている。でも、「ユダヤ人」という単語だけで、差別的な笑いがこみ上げてくる。何を言っても冗談になってしまう。差別とは、そういうものでしょう。
そういう意味では、イスラエルに来てほっとする。
彼らは、喧嘩は強いし、自己中だが、差別に対しては、自由だ。
つまり、どうしようもない差別心を持っている人は、その心から離れられないでいる。
差別心のない人間は、真の友人になれる。それでも、イスラエル人のパレスチナに対する姿勢は世界的に悪評だ。
シャバットの日、家族のお母さん(つまりおばあさん)の家にいった。初めてイディッシュ語(ドイツ語文法によるヘブライ単語を使った言語)を聴いた。ほとんどドイツ語だ。
ドイツ人とユダヤ人が身近にいた時代に思いを馳せる。


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