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2007年10月26日 (金)

道成寺

 はい、「道成寺」、白拍子さんが行ったところですね。行きましたよ。
 清姫という女性のところに泊まった安珍が、清姫に言いよられたのを断るために「必ず熊野詣から帰ってきたらあなたの所に戻ってきます」と行って、清姫のところに戻らず、逃げて帰ってきて、それに逆上した清姫が、60キロの道のりをストーカーして、安珍は道成寺の鐘の中に隠れ…云々という。一夜の契りで逃げていった男に未練を残したり、泣いたり…こんな目にあった女の人は、五万といるでしょう。よくある話だ。しかし、よくもこんな女を馬鹿にした話が、日本では、能、歌舞伎、文楽と、ことあるごとに取り上げられ、名作として知られているという。女である私は、ちっともおかしくもおもしろくもない。
 さて、この寺を開いたのは、藤原不比等の養女になった地元の宮子姫。藤原の養女になり、文武の妃のひとりとなり、その財をもって大宝元(701)年に建設。
 法相宗だった。つまり藤原氏の庇護した興福寺の同じ宗派であり、不比等は興福寺の建設(710年)よりも前に建てている。
 藤原氏は、巫女を庇護し、その能力にたよっている。彼らは、もとは神託をする中臣氏でもある。
 その女性の力を大いに尊重した寺が、後に真言宗、江戸時代に天台宗となる。両者とも平安時代に始まった「男の宗教」、平安の当時は、尼僧を排斥した宗派だ。
 「なんとか前時代のイメージを払拭しなければ」と物語は、始まったという「清姫擁護説」がここに浮かんだ。
 熊野街道にあるこの道成寺。山伏たちのビジネス・ホテルとして利用されたことだろう。この男たちの世界で、「一夜の情事」を都合のいいストーカー・ウーマンの話に増長し、それを楽しげに語らう「道成寺ロビー」を想像してみたくなるのだ!
 千手観音、これは男の顔、きっと文武なのだろう。以前は、この千手観音に手を合わせたのは、多くの女の人たち、尼僧たち、だったのだろうか?
 道成寺から1キロほどはなれた日高川。こんなのどかな、ゆるやかな川を見て、自殺する女がいるか?自殺っていうのはね、もっと激しい濁流、深い底なし沼、波荒い海峡に、魂が持っていかれそうになってするものですよ。

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