「瑛九」と「サム・フランシス」
日曜日に「農業能」という仕事が入っていたが、雨天中止となり、すっぽりと時間が空いた。
そこで、「瑛九展」と「フィリップス・コレクション」、がんばって行ってきました。
瑛九展、よかったです。
最初は、なんと見栄えのしない油絵を書いている人だろう、まー、エッチングの方がマシか、ぐらいに思っていました。
ところがフォト・デッサンという手法になると、いきなり、すごかった。
すごい、人が変わることことなんてあるんだと思ったのは、この間のティム・バートンのとき以来二人目。それも1ヶ月以内に。
宿ったんです。それ以降の水玉油絵なんて、水玉ファンには見逃せない絶品の水玉でしたね。なんとかやよいなんて、比でもない。
本当にすばらしい作品をいつまでもひとりで見てられるほど、その美術館には誰もいなかった。
その後、がんばって、新国立美術館の「フォリップス・コレクション」に。
それこそ、ロサンゼルスで、「ゲッティ・ミュージアム」という、見るも無惨と言うか、最悪のコレクション+(プラス)ゴッホのアイリスを巨万の富で競り落とした、学芸員はいないのか?と思うような、下品な並べ方をしたミュージアムに行ってきたばかりだったので、今の政治もさることながら、アメリカを本当に軽蔑しようと思っていた矢先に、きちんとしたアメリカのコレクションを見て、極端な思考に走らずにすみました。
たいへんまともでした。
しかし知識もなく、見ていて「サム・フランシス」という人の「ブルー」という絵をみて、大変元気をもらったような気がして、この人はどんな人なのだろうとウィキると、あっ、出た、「こういう絵は井上有一の影響を受けたんだ」という(さる知り合いの文化人の…汗)声が聞こえてきそうな、ジャンルの人だったんですね。
それはその通りです。ただ「ブルー」の作品群は、サム・フランシスが病気で、かつ評価が得られなかったときだったそうで、でもその絵が元気をくれる。
たぶん、そうです。大家になると、安定感が出て来てしまって、全くスリリングじゃなくなり、「気」っていうもので書かなくなるんですよね。
大家は大家になる前の作品がいい。
櫓(ろ)を打ってはらわた凍る夜(ゆ)や涙
これは、芭蕉が俳句を完成させる以前の句。「奥の細道」のよりよっぽどいい。
(このオリジナルも「さる知り合いの文化人」の家にあった、なんだか今回呪縛されている…汗)
つまり、作品には何というか「気」、あるいは「何か宿った」けれども、その人間が大成していないスリリングな時代、これが、やみくもに「今」を生きている人間には、共感できる、ステキだと思える。そう、一生大成しないと、一生スリリングですよ。
ちなみに、ゲッティ・ミュージアムも石油王のコレクションによるもの。サム・フランシスをコレクションしてサポートしたのも出光石油の出光氏。生かすも殺すも石油王次第、つまり金次第というのも現代の産物。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント